母親って、子どものことですぐに傷ついてしまうんだから
玄関で傘を持って立っているおじさんは、すごくガタイの良い人だ。
お会いするのは2度目で、前回は前任の方に同行して我が家に来られた。
私と歳は同じくらいだが、この分野では全くの新人らしくて、緊張しているのが空気から伝わってくる。
彼は、新しく担当になった相談支援専門員さん。
これまでの7年間は、私と同世代の女性が担当だったが、今年度から人事異動で彼に交代した。
相談支援専門員とは、障がいのある人やその家族が、適切な支援を受けるためのサポートをしてくださる方だ。
我が家は、肢体不自由の二女が特別支援学校を卒業した後から支援員さんにお世話になっていて、年に4回、モニタリングのために担当者が訪問してくださる。
彼はリビングに入ると、まず最初に、ベッドに横になっている娘に大きな声で挨拶をしてくださった。
ありがたいなぁと思っていたら、いきなり質問された。
「挨拶してもよかったですか?目が見えないって聞いているので、挨拶したらびっくりして迷惑かなと思って。」と。
会ったときに挨拶するって、当たり前じゃないのかな。
迷惑なわけがないんだけど、と思っていると、
さらに、
「娘さん、笑ったのか困ったのか、ちょっとわからなくて。」
と、サラリと言われた。
それだけで、私は泣きそうになった。
顔の表情筋も壊れていく病気だから、わかりにくいかもしれないけど、娘は嬉しそうにニコニコ笑っていたのだから。
そうか、この顔を見てもわからないのか…。
心の中で私は舌打ちをしていた。
モニタリングでは、いろんなサービスについての確認や、最近の様子を訊かれるのだが、その際にリハビリについて、また唐突に質問をされた。
「リハビリって、何か機能回復のためにするものだと思うのですが、なぜ娘さんはリハビリをされているのですか?」と。
娘の身体は、機能が回復することはない。
身体の痛みを和らげ、関節の可動域を維持するために全身をほぐしてもらったり、自発呼吸を少しでも保てるように胸の動きを促してもらったりしている、と話すと、めちゃくちゃうなづいていた。
維持のためのリハビリか、と。
そんなリハビリもあるのか、と。
「わからないことは、どんどん聞いて勉強したいので、またいろいろ教えてください。」と、熱く、とても熱くおっしゃる。
その姿勢は正しいと思う。
わからないままにしないことや、わかったふりをしないことは、ありがたいと思う。
でも、言い方に配慮がないのは、どうなんだろう。
先生や福祉サービスの方、医師、行政の方、支援員さんなど、これまでいろんな人に娘の話をしてきたので、ある程度の質問には慣れているが、彼は、ちょっと耳に障る言葉が多すぎる。
話をしたくない気持ちが、次第に強くなってきていた。
そしてまた、ショートステイを勧められた。
いざというときのために練習していくべきだと。
何度も何度も話してきた。
引き継ぎにも書いてあることだろう。
サービスを提案する立場だから言わなきゃならないんだろうけど、またか、と思う。
ショートステイには数回チャレンジした。
でも、他所で眠れない娘は毎回熱を出し、親は夜中に呼び出され、それから1週間ほど娘の体調不良と闘うことになってしまう。
だから、お泊まりを練習する気はない、と話した。
それでも彼は質問してくる。
プロが看てくれるのに何が不安なのか?と。
怒りに近い憤りで、私は黙り込んでしまった。
そういう問題じゃないし、出せるのなら、私だって出している。
家から元気に出した子が病気になって帰ってくることが何度も続けば、誰でも怖くなる。
命に関わる状況になんて、簡単になってしまう子なんだから。
過保護だと思うなら、思えばいい。
二女に付きっきりで、長女や長男の授業参観にも行ってやれなかったような母親の、どこが過保護なんだろう。
つい、そこまで飛躍して考えてしまう。
彼の質問に対して、私は
「出したら、娘は死んで帰ってくると思うので。」
とちょっとキツく答えた。
嫌な言い方だと思いつつ、嫌な言い方をしてしまった。
「死ぬ」って言葉を口にした自分が苦しくなる。
この時点で、もう私は、彼の顔を見る気もすっかり失せていた。
モニタリングの後、グッタリ疲れて、娘の足元に顔を埋めてしばらく動けなかった。
じわりと涙が出てきた。
支援員さんがぶつけてきた疑問は、娘をよく知らない人なら、何のいじわるな気持ちも無く、当たり前に思うことなのかもしれないな、とも思った。
『この母、自分が抱え込んで、うまく子どもを手放せない親なんだな』っていう、あれだ。
最近では少しだけ、そんな自分を客観的に見て、「琲音さん、頑な過ぎだよ」と私に言ってあげたくなる時がある。
何年も前のショートステイの失敗を引きずるんじゃなくて、大人になった娘をそろそろ信じて、挑戦してみてもいいんじゃないか、と考えることもある。
でも、一晩外泊させることって、命がけで挑戦するようなことだろうか。
そうなるともう、何にも考えたくなくなる。
今のままでいいやんって、そう思って心を閉じてしまう。
いったい、誰のための、何のためのモニタリングだったんだろう。
帰宅した夫に、昼間のモニタリングのことを話した。
「無理しないで来たから、あの子は今、俺たちのところにいてくれてるんだろ。」
そうだな。
やっと気持ちが落ち着く。
我が子の身体が耐えられる限界のラインは、親の感覚で間違いはない、とやっぱり思う。
残念なモニタリングだったけど、あの相談支援員のおじさんも、一生懸命頑張っているんだと、ちゃんと頭ではわかっている。
いつまでも、くよくよしない。
ちゃんと娘は、めちゃくちゃ可愛い笑顔で笑っているじゃないか。