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パパ友な歯医者さんたちの、優しいバトンパス

「かぜさんが でますよー」
「みずさんが いきますよー」

この穏やかな言葉に、私は何度もほっこりしてきた。

娘が小さな頃からお世話になっている歯医者さんは、娘が20歳を過ぎても、いつも保育士さんのように娘に話しかけてくれていた。

お顔は、若き日の大江千里さんそっくり。


娘は難病で、現在では人工呼吸器を使って寝たきりの生活をしているが、小さな頃は医療的ケアは必要なくて、ご飯も食べられていた。

彼女が就学前に通っていた療育施設の園医が千里先生(以下、歯医者さんをそう表現させていただきます)のお父さまで、障がいのあるお子さんの摂食指導にも熱心な方だった。
園で年に一度みてもらうだけではなく、お父さま先生に娘の歯を定期的に診てもらいたくて、娘が3歳になる頃から先生が開業している歯科医院に通うことにした。

そこから20年近くのお付き合い。

この歯科への通院日は土曜日の午後2時から、と決まっていた。ありがたいことに、その日の2時半までの30分間は、娘だけを診察できるように、他の患者さんの予約を入れずにいつも病院を我が家の貸切状態にしてくださっていた。

娘が特別支援学校の小学部高学年の時に、お父さま先生が亡くなり、跡を継いだのが千里先生だった。
お父さまをそのまま若くしたようなお顔で、

「まだまだ勉強不足ですが、ボクでよかったら、このままここで娘さんを診察させてもらいたいです。」と言ってくださった。
そんな腰の低いところも、お父さまとそっくり。

ずっとここでお世話になりたい、と思っていた。


しかし、千里先生の病院は我が家から車で1時間ほどかかる場所にあって、通うにはやや遠い。
大人になり、医療的ケアが必要になった娘をそこまで連れて行くのは大変になってきていた。

しかも、一般的な歯医者さんの診察台なので娘の身体にはしっくりこなくて、頭が落ちそうになったり、側弯の背中が硬い椅子には痛そうだったりする。さらに人工呼吸器まで装着することは、かなり無理があった。

私たちにとっても、おそらく病院側にとっても、この治療のやり方は厳しいとわかっていた。
歯を診ていただくことは大切だし、やめるわけにはいかない。
優しい先生なので、きっと「診察はもうここでは無理です」と、千里先生からはおっしゃらないだろう。

そんな胸のうちを訪問診療の医師に相談したところ、訪問してくれる歯医者さんを紹介しましょうか、という話になった。

ずっとお世話になってきた歯医者さんとお別れするのは、とても残念な気がした。
娘のことをよく知ってくださる方との繋がりは大切にしていたいし、新しい歯医者さんに難病の娘を一から理解してもらうことにも、やっぱり不安がある。

でも、娘の身体がもう限界かなと思った。

迷った末に、昨年、千里先生にさよならを告げ、訪問の歯科医に来ていただくことを選んだ。


いよいよ新しい歯医者さんの訪問初日がやって来た。
医師とともに歯科助手さんも来られ、2人とも両手に、数日間旅行するレベルの大荷物を抱えている。
在宅で歯の診察をどうやるのか、私は興味津々で準備の様子を見つめていた。

まずはレジャーシートをリビングに大きく広げ、そこに荷物を置き、箱や袋から必要な機械や道具を出して、娘が横になっているベッド付近にそれらを配置した。

水を出しながら歯を掃除するコンパクトな機械、口の中の水分を吸うための吸引器、その他もろもろ、歯医者さんで見たことがある小さな銀色の道具たちが、なるほど!っていう位置に並べられて、部屋が即席の歯科医院になった。

新しい歯医者さんは、偶然にも、千里先生とパパ友だった。

「先日も息子の運動会で千里先生にお目にかかって、娘さんの引き継ぎの話ができました。よろしく頼みますって言われたんですよ。」と、なんとも心強いお話を聞かせてくださった。

千里先生とは違った雰囲気だけど、物腰が柔らかくて、言葉を理解できない娘にも、目を見ながらちゃんと話しかけてくださる。
ふわふわパーマが似合っていて、ずっとニコニコした目のおじさま先生だ。

診察が始まると、

「さぁ、口の中を先生に見せてな!おっ、上手に口を開けてくれるなぁ!ありがとな!」

みたいな感じで、新しい先生は、『憧れの先輩パイセン風』に娘に話しかけてくださる。

歯のお掃除を中心にフッ素も塗ってもらい、約15分くらいで診察が終わった。
歯科助手さんは、終わると同時に猛スピードで道具を元の入れ物へ片付け始めた。おそらく次の訪問の時間が迫っているからだろう。

その間に、パイセン先生(新しい歯医者さんです)がノートにその日の様子を記入してくださる。
このノートは訪問診療の先生方と家族が共有している診療記録だ。

その文に、私はとっても感激した。

「舌で少し機械を押しのけてきましたが、舌の力が強くてうれしかったです!また、次回も頑張りましょう」

パイセン先生も、いい人過ぎる!

筋力は弱くなったものの、舌の力が強い娘は、口に入ってくる突起物を排除しようと渾身の力で舌ブロックをしたり、器具を噛んだりしながら、治療の邪魔をする。

それなのに舌の力を褒め、しかも嬉しかった、とおっしゃるなんて。
なかなか褒めてもらうことのない娘を褒められて、私は素直に嬉しかった。


また、次の診察でも、神のお言葉的なメッセージが書かれていた。

「口もしっかり開けてくれましたので、とても見やすかったです。ご協力ありがとうございました!」

これぞ、ポジティブ思考のお手本だと私はとても感動した。なぜなら、娘はちっとも協力していなくて、ただただメンズに至近距離で見つめられて、嬉しくてニヤニヤしていただけなのだから。

そんなパイセン先生からのメッセージを、私は毎回楽しみに読ませていただき、ノートに向かって深く頭を下げている。


大切な先生とお別れしても、それまでの繋がりや記憶が財産として、娘や私たち家族の中にちゃんと残っている。
そして新しい先生との出会いは、さらなる私たちの力になっている。

歯医者さんたちの優しいバトンパスで、安心して娘の世界をまたひとつ広げることができ、心からよかったと思っている。

それにしても、自宅にいながら歯を診ていただけるなんて、ほんとうにありがたい時代になったと思う。
さまざまなお家へ行き、病院とは勝手が違う場所で、簡易の機械を使いながら診察をすることは、先生も大変だろう。

せめて、寒い日はあったかく、暑い日は涼しく、心地よい空間でお迎えしたいと思っている。

もちろん感謝の心と言葉と、マクドナルドの店員さんに負けないくらいのスマイルを添えて。




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