最後のお弁当作り
私の16年間のお弁当作りも、いよいよあとわずかで終わる。
来週には、高専に通う息子の学生生活最後のテストがあり、その後は3月の卒業式まで彼らは少し長めの休みに入るので、彼のお弁当は来週までで、もう、いらなくなる。
私の暮らす地域は中学校に給食がなく、中学入学とともにお弁当が必要だ。
長女が中学生になって以来、間隔を空ける年もなく、朝から子どもたちのお弁当を作ってきた。(夫はお弁当がいりません)
長女は、中学校入学からうちを出るまでの13年間。
長女と9年歳の離れた息子は、中学生から今までの8年間。
2人が重なる時期もあったし、長女だけ、息子だけの時期ももちろんあった。
お弁当箱は基本的にはご飯とおかずの2段のもの。
たまにサンドイッチとか、お寿司やどんぶり風とかで、違う入れ物にしてみたり。
お弁当のおかずの主菜は日替わりだけど、副菜はいつも決まっている。
ほうれん草やブロッコリーなどの「緑」とミニトマトの「赤」、きんぴらや煮物系の「茶色」と卵焼きの「黄色」。
彩りのため&栄養のため&メニューをあまり考えなくてもいい、という理由で、これらは、ほぼほぼ、お弁当箱の定位置にずっと入れてきた。
お弁当箱のおかず半分はそれで埋まるから、思春期の頃の我が家の子どもたちの体の1割くらいは、お弁当の副菜たちで作られていたんだな、と思うとちょっと笑ってしまう。
毎朝20分くらいで作るので、もちろん、冷凍食品にもお世話になったし、昨夜の夕食も一品として登場してもらった。
全体的に茶色が多く、映えやおしゃれからかけ離れた地味なお弁当だったが、なるべく隙間なく詰め詰めに詰め込んで、「しっかり食べて昼からも頑張れ!」という想いを込めて作ってきたつもりだ。
時代やイベントによっても、お弁当は少しずつ変化してきた。
彼らが部活をやっていた時期は、ボリューム満点肉肉!を心がけて。
大学生になった頃からの娘には、小さな弁当箱に、ヘルシーで身体にいいものを少しずつ入れるように心がけて。
その頃から、彼女と一緒にお弁当を作る時期もあった。
遠足の日は、必ずサンドイッチをリクエストされて作ったり、
試合の日は、食べる時間が不規則だから、と小さなおにぎりを何個も握ったり、
受験の日は、「消化のいいものがいい」を無視して、やっぱり必ずカツを入れてしまったり。
大変に思う朝もあったけど、親の手が離れてきた時期の子どもたちにしてやれることはこれくらいだと思って、どんな日でも必ずお弁当は作るようにしてきた。
そこだけは、ちょっとだけ、自分を褒めてやりたいな、という気持ちにもなったりする。
我が家の16年間のお弁当ルールは、自分でお弁当箱を洗うこと。
試験期間や、疲れていてできないような日以外は、なるべく自分で洗わせてきた。長女も、もちろん息子にも。
昭和かな、厳しいかな、と思いつつ、これはこれでよかったような気もしている。
ぶつくさ言いながらも、ちゃんと洗ってくれた子どもたちにも感謝だな、と思う。
数日前の、息子のお弁当。
何にも凝っていないので写真を貼り付けるのも恥ずかしいのですが。
長女も息子も、毎日お弁当箱を空っぽにして帰ってきてくれて、母は嬉しかったです。
長かったお弁当作りも、あと数回でおしまい。
子育てのゴールのようで、やっぱりお弁当を作らなくなるのはさみしく思う。
最後のお弁当には、息子の好物ばかりを入れようかな、と思っている。
もちろん、定番の副菜も一緒に添えて。
代わり映えしない母のお弁当を、頬張る息子を想いながら。