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罪深きトンカツ屋
トンカツ屋とは実に厄介なお店である。
なぜなら、
千切りキャベツがおかわり出来るのが
ほとんどであり、
さらに、ご飯のおかわりや、
味噌汁のおかわりまで無料の店も珍しくないからだ。
通常、飲食店というのは、
目の前に出された量のものだけを食べるものだ。
大盛りを希望するなら事前に申告する必要がある。
例えば生姜焼き定食であれば、
皿に盛られた肉や野菜、付け合わせなどを
まずは視覚で把握し、
何をどのくらいのペース配分で食べていくか、
脳内シミュレーションしながら食べるであろう。
つまり、与えられたキャパシティの中で
いかにバランスよく最後まで楽しむか、
それこそが定食のあり方であり、食べ方であるはずだ。
しかし、このトンカツ屋ときたらどうだろう。
キャベツがいくらでもおかわりができることで、
その計画性は無限の軸になり
何回キャベツをおかわりしようか
もうちょっと食べようか。ご飯は足りるのか、味噌汁もおかわりしようか。
といった、おかわりのことだけに思考が支配され、
もはや主役であるカツはどこか遠くに追いやられてしまうのだ。
そもそも、キャベツの千切りにソースをかけて食べるということが、日常生活にはあまりない。
トンカツという油っこい食べ物を中和するには
そのシャキシャキとした食感とさっぱり感で、
キャベツの美味しさのほうが際立つ。
次第にトンカツを楽しむためにキャベツを食べているのか、キャベツを楽しむためにトンカツを食べているのかさえ分からなくなってしまうであろう。
こうなるともはや主客転倒である。
クーデターだ。テロリズムである。
トンカツ定食ではなくキャベツ定食と呼んだ方が正しいのではないか。
このように、脳内は混乱を極め、
通常の定食より提供まで時間がかかる上に、
少々値段も張る。
待たされて空腹の状態に
揚げたてのトンカツが目の前にやってくるという
狂気の高揚感が押し寄せ
緻密な計算式は崩壊し、
欲望のままに貪ることになる。
もはや理性を失った本能だけの存在となる。
この豚野郎と呼ばれても仕方あるまい。
最後の一切れになったトンカツと残ったごはんのバランスを間違うことも発生した経験がないだろうか?
ごはんとおかずのバランスを考えることが難解なのだ。
つまり、文化的で健康な生活を送る基本的人権さえも剥奪されることになるのだ。
ご利用は計画的に、といった言葉が、この店では虚しく響く。
トンカツ屋というのは、
まったくもって厄介なお店なのである。
ちなみに私はカツには醤油をかける派である。