【ライブ】人生初the HIATUSを夏の野音に捧げる【Sunset on the Rails@日比谷野音2024.8.18】
ようやくハイエイタスのツアーに申し込める人生設計になったのだが、噂通りの倍率の高さにことごとく惨敗し、連敗記録を更新していた2024年。
追加販売の立ち見席もどうせ取れないだろうなとダメ元で申し込んでみた。とは言いつつ、ちょっとは期待していた。
すると想定外の当選通知。嬉しいという感情よりも何が何だか分からず、この日は終始大パニックを起こしていた。
今までも細美さんのライブはMONOEYESでもELLEGARDENでも何度か見ているが、贅沢にも今回の野音が人生初エイタス。その初回がジャズ編成とあまりにも渋すぎる演奏スタイルであるが、これまた縁だろう。
第1部
定刻18:00、ステージ裏から「オウ!」と声が響き、落ちる客席照明より先に円陣を組んだ声がライブ開始の合図となった。
順次ステージに登場すると、Tシャツとラフな衣装で登場。
ツアーの追加公演である今日は旅の終わりでありフィナーレのはじまり、「Lone Train Running」で幕を開ける。まるで複雑に線を成す地下鉄を乗り継ぎ、電車でここ日比谷野音に向かった私たちとふと重なったような気がした。
最初から度肝を抜かれた。あれだけ雄々しくも疾走感が心地よいロックな曲が、こんなにも清らかで駘蕩で壮大な雰囲気に変わるのか。
最初からこの音で彩られていた思うぐらいに”完成度が高い”とも言えるが、彼らの演奏力だけでは安易に表現出来ない唯一性と同時に、”この場ではこの曲に「ジャズ」というジャンルのファッションの衣装を着させる”と一意性が最初の1曲ではっきりと見えた。
どこかウエスタンな香りを感じる「Deerhounds」は、アウトロで「again」と伸びやかにリフレインする。今回のツアーの旅で出会った人々に別れ際「また会おう」と言っていたんだろうなんて勝手に思う。
細美さんが「興奮がおさまらないけど、おさめないで行きましょう!」と「Horse Riding」ではそれまで大半が座っていた客席だが、キャンドルナイトで一斉に火が灯るように立ち始める。
曲中にMCタイムを挟み「カンパーイ!」と高らかにステージと客席で祝杯を上げる。
その例のステッカーがこれだ。
「台風が過ぎたと思ったら今度は暑い、ここまで暑くならなくてもよかったんじゃねえか」とせっかくの野音日和の好天に文句を垂れつつ、続いて「Firefly/Life in Technicolor」。
the HIATUSは自分が想像していたより、ずっとずっと美しかった。ここが日比谷という無機質なビル街であることを忘れるぐらいに、見惚れ、聴き惚れ、うっとりと忘我していた。
エイタスの曲からは満点の星空を音に詰め込んだようなキラキラとした耽美さを感じていたのだが、ライブとなると一番星を見つけた時のトキメキと煌めきが1音1音鳴る度に角度を変える度に輝く宝石の如く自分の心が潤っていく感覚と同時に、本物の優美な時間を知れたような気がした。
「Something Ever After」を演奏する前はこんなことを話していた。
今回のイベントタイトル「Sunset on the Rails」(軌道に乗る夕日)の元となったであろう「Sunset Off The Coastline」(海岸線から沈む夕日)、開演時はまだ明るかった空も、この曲を演奏したあたりからだんだんと日が暮れ、昼と夜のグラデーションが織り成すエモーショナルな空の演出に一段と雅な時間に差し掛かる。
「Radio」を演奏する前にこんなエピソードを話した。
1部のラストは「Silver Birch」。待ってました!と言わんばかりの大盛り上がりで前半は終了。
第2部
10分間の小休憩を挟み、舞台セットの模様替えを終えてライブ再開。ちなみにステージセットの転換スタッフにBRAHMANのTOSHI-LOWさんが紛れ込んでいたらしい。やっぱり力技担当なんだな。
19:00、夏の東京の中心はすっかり夜に染まる。
ジャケットスーツを身に纏った正装姿で再登場すると「The Flare」、ピアノとドラムが複雑に絡むイントロが鳴れば「Bonfire」と、前半の美麗さに焦点を置いた曲から暴風雨で荒れ狂う海のように狼藉な雰囲気にガラリと変わり、深い闇夜に引き摺り込まれるようにのまれる。
2部開始早々「これはダメだ、暑すぎる、水飲もう」とジャケットを脱ぎ、ジメジメした東京の夏の夜の暑さに負けてしまったおじさんたちは一番後ろの立ち見席からでも分かるぐらいにゼエゼエハアハアしていた。
そんなことを言ってから「Unhnrt」を演奏した。
自分でも記憶が定かではないが、「細美武士」の存在を知ったのが高校生のときだった。
当時はバンド知り立てで国内のフェスの出演者が半分以上も分からず、とりあえずタイムテーブルに記載されているバンドを片っ端から聴いていた。そんななか、何故か「細美武士」というバンドマンの名前だけが一人歩きしていた。同時に様々な人がSNSで「エルレ復活しないかな」と言っているのを連日目にし、このときとっくに活動休止していたELLEGARDENから聴き始めた。
その後、細美さんがthe HIATUSというバンドをやっていることを知り、手始めにひとまずYouTubeに上がっていた「Thirst」「Horse Riding」「Unhnrt」あたりの曲に手をつけた。
規模の大きいフェスでは合計100アーティスト以上は出演する。なのに何故迷わず細美さんの曲を聴こうと10年以上前の私は思ったのだろうか。
今思い返せば当時は無意識すぎて気が付かなかったが、大きなきっかけは東北ライブハウス大作戦なのかもしれない。「震災のボランティアに尽力している人がいる!人間としてカッコ良すぎる!」みたいな感じで入ったような気がする。テレビの音楽番組にも出なければアニメやドラマの主題歌に抜擢された訳でもない、身近な友人が好きだった訳でも無い、なのに細美武士の存在はいつの間にか知っていて、いつの間にか私だけの辞書にも載るようになった。
そういえば細美さんを知ったきっかけってなんだっけな、この日聴いた「Unhnrt」でちょっとだけ思い出した。普段あまりにも何気なく聴いていたけど、私にとってはじまりの曲1つだったんだな。
プロだから上手で当たり前、だけどエイタスは演奏技術だけではない音の魅せ方に長けすぎていた。ボタニカルなお洒落さを感じるテクニカルで軽快な柏倉さんのドラム、伊澤さんの琴線に響く重厚感のあるピアノ、マサさんは性格的にはひょうきんでおしゃべりなイメージだが鳴らすギターはドラムとピアノの潤滑油のようにして溶け込んでいて、ウエノさんのベースの職人気質さと溢れ出る貫禄がこれまたグルーヴィで、この5人だから鳴らせる音なんだと思った。
「西門の昧爽」の演奏前にそう言った。
細美さんの指す「お前ら」はここにいた3000人に向けられたはずなのに、私でない2999人ではなく、過信ではなく不思議と迷いなく自分に向けられてるように思うのは、心当たりがあるからなのかもしれない。
そんなthe HIATUSこそ祝われるべきで、今年で結成15周年。本来私たちが彼らに言うべき言葉が何故か私たちに向けられた。
ここまでライブを見て、このスタイルだからこそかもしれないが意外と細美さんは曲の説明をする人なんだと初めて知った。
MONOEYESやELLEGARDENも含めてロックバンドのライブは大抵そうだが、全力でぶっ飛ばして、話す時はしっかりとMCタイムを設け、曲の紹介してもタイトルだけであることが大半だ。そのため月に1回以上のペースでライブに行っている身でも誰が為に作った曲で、どんな人にこの曲を届けたいのかを明確に説明するライブに遭遇したことが実はあまりないのだ。
モッシュダイブの無いジャズスタイルなら曲本来の意味を真っ直ぐに届けられる、だからジャズスタイルを選んでいるのではないだろうかと思ったりした。
直後のGREEN DAYの「Basket Case」のカバーには驚いた。パンクロックの元祖とも言える曲をジャズ調でカバーするとは思わなかった。
初めて見たthe HIATUSがジャズバージョンのため、これを書いている今もあの日聴いたアレンジが泡沫のように消えてしまう。昔から応援しているひとや運良く何度も見れている人は聴き慣れているかもしれないアレンジは、ずっと憧れていたthe HIATUSのライブを初めて見た私の浅すぎるキャパシティでは覚え切ることが出来なかった。
脳でも耳でも覚えられない、でも何度も細美さんの手を差し伸べてくれるような優しくも力強く伸びる歌声は、耳だけではなくはっきりと全身が覚えているんだ。
そんな話を聞いて「Insomnia 」を聴いた時、いやこの曲のみならず初期アルバムの曲は全体的に怒りや劣等感のぶつけ方が分からない自暴自棄に近い暴力性のある曲だと感じていて、その不器用な初期衝動特有の獰猛性が私はカッコイイと思っていたのだけれど、そのMCを聴いて自分が感じた曲と細美さんの当時の心境の合致に納得した。0から1を生み出して第一線で走り続ける人の気持ちなんて分かりやしない、分かったとすればそれは分かっているふりだと思う。でも理解はしたい。
最後は野音でのライブが発表された時からきっとこの曲は野音に似合うだろうと想像していた「紺碧の夜に」。
日比谷は皇居のすぐそば、日曜日の東京駅や有楽町はショッピングやランチを楽しむ人々でワイワイと賑わっているが、少し離れたこの日比谷や霞ヶ関付近は皇居があり、その周りには国を司るエリートが集うオフィス街が立ち並び、常に緊迫感があるこのエリアに来る度に背筋がピンと張る。
東京の街は高層ビルに囲まれていて、夜空は街の灯りでとても明るい。空は狭いし空の色は夜明けのような紺碧でも麗しい漆黒でもなかったけれど、その都会の冷たさと無機質さを逆手に取るように、音色はまるで夜景のように美麗だった。
アンコール
「Tales Of Sorrow Street」を演奏する前にこう前置きした。
深読みかもしれないが、この曲で私は「娼婦」と聞いて「戦争」を連想し、「世界平和」を願うように見えた。
学生時代、戦争の映画を授業で見た、いや見させられた。戦争に勝った日本兵が帰国した途端、ご褒美にと大量の兵士が娼婦の元に押しかけ、娼婦は休みなく兵士の夜の相手をした。映画のタイトルは不明だが、昭和の日本の戦争映画だった。
現代セックスワーカーのことを”娼婦”と呼ばない、”娼婦”と呼んでいたのは歴史の教科書まで、そしてライブの3日前は8/15は終戦記念日。
タイミングが偶然のように必然的に重なると意図していようと意図していなかろうが、本人が意図しない方向に解釈して決めつけたくはないが、そう思ってしまうんだよな。勝手だよなあ、”ド外道”だから許してくれないかなあ。
「Catch You Later」は「また連絡するね」と言う意味で使われることが多いらしい。
本当にこの曲を最後にするつもりだったんだなと思っていたのだが…
約束の時間を過ぎてしまったがその予定外も旅の醍醐味、旅の終わりに選んだのは「Ghost In The Rain」。
「the HIATUS」「野音ライブ」、絶対に最高のライブになると思っていた。特別サプライズがあった訳ではないが、あまりにも夏の夜に似合いすぎていた極上のライブは、紛れもなく心にも記憶にも残る伝説的なライブだった。
最後の最後まで聴き惚れていた珠玉のアンサンブル、ずっと夢みたいだ、幻みたいだ、もし北極にオーロラを見に行ったらこのくらい感動するのかななんて思いながらもリアリスト的なライブだと思っていた。目を背けたくなるような現実逃避のための時間ではなく、明日を生き抜く力になるような絶対的なパワーを受けつつも、夢のように神秘的で愉しい現実だった。
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細美さんがエイタスのファーストアルバムを作っていた時とにかく辛かったと話していたくだりで、こんなことを話ししていた。
細美さんがよく見ていたという夢が正夢となったこの日、1つだけ相違があった。
ライブを終え、お辞儀をして、ステージからメンバーがいなくなった後客席に流れた「スタンド・バイ・ミー」で軽く合唱が起こるぐらいに、最後の最後まで超満員だった。
やけに明るいと思って空を見上げたら、満月に近い玲瓏な月が祝福するように照らしていた。”月の影”がthe HIATUSなら、彼らは月をも照らせるバンドであることが証明されたような気がした。
Catch You Later
2024年は4ヶ月を残して荒吐でELLEGARDEN、L.U.T.DとビバラでMONOEYES、そして今回野音でthe HIATUSと細美武士の3形態のライブを見ることが出来た。つくづく運の良い人間だと思う。
上品、極上、至福、優雅、そんな風に感想を並べられる通常・大人エイタス初体感の感想は、不思議とこのライブは不特定多数に向けたものでもなく、"誰かひとり"へのライブのように思った。
「いろんな人にこのライブのことを話して、いろんな人に見に行って欲しい!」と思うより、この日の時間を自分だけの宝物にして、自分が見た自分だけのライブだったと大事に心に秘めたい。5人が目の前にいるのにも関わらず、夏の野外の開放感に反比例して真夜中に1人で考え事して塞ぎ込んでいるような閉鎖的で狭く深いものだった。でもそれが心地よかったんだ。
このライブは最後の最後まで粘って、奇跡的に最後の抽選で当選したチケットだった。最後まで諦めなくてよかったと心の底から思った。
次もまた絶対にまた会える日まで諦めないんだ、私はthe HIATUSのライブ会場に辿り着けるぐらいに勇敢な人間だ。
また人生という旅のどこかで会えたら、Catch You Later!
セットリスト(外部URL)
※MCはニュアンス・順番前後している箇所もあります。またMCが分かりやすくなるように追記している箇所もあります