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第一印象の奴隷

考えてみれば私という人間は
第一印象というものに強く囚われている。

不潔な人を見れば眉をひそめて
美人を見れば背筋を伸ばしてしまう。

人は見た目ではないというのに
なんとも私は浅ましい。

全ての人にフラットに接することこそ
理性的で器の広い人物の行動ではなかろうか。

ああ、私は到底及ばない。
人格者のなんたるかにはほど遠い。

・・・

そういえば私が高校生くらいの時に知って
稲妻に撃たれたようにおどろいたことがある。

それは学校の先生について。

どうやら、学校の先生といえども
生徒に対して明確に好き嫌いの感情があるらしい。
初心うぶだった私は数秒固まってしまった。

そんな…まさか…
生徒に公平に接する代表格みたいな先生が!?
生徒に対してえこひいきを!?

高校生の私にとっての「先生」とは
なんというか、人としてのステージが
二つも三つも上の存在と思っていたのだ。

生徒に「教える」立場の人は皆人格者。
そう信じて疑わなかったからこそのショック。

・・・

だがしかし、ショックを受けたその一方で

(そりゃそうかもしんない・・・)

といった思いがジワジワ湧き出てきたのも事実。

当時の私は今以上に人の好みがハッキリしており
生まれた時から差別してますッ!みたいな男で
「好きな人」「嫌いな人」を分けて接していた。
なんというか、自分にとって得になる人と
得にならない人をまず吟味していたのだ。
やっぱり、自分の周りは、自分に好意を持つ人で
固めてナンボと本気で考えていた。

そんな私が先生に幻滅するのはお門違い。

そりゃあ先生だって、やたらと反抗的だったり
無視を決め込むカワイクナイ生徒なんかより
「先生、先生!」と元気に慕ってくれる
生徒のほうが接していて嬉しいに決まっている。

先生が生徒に対して選り好みするのは
えこひいきでもなんでもなく
人が人に対して抱く心の動きというだけのこと。
先生が悪いはずなかろうて。
もし悪があるとしたら
勝手に幻想を抱いていた私の思慮のなさだ。
先生だって人間なのだ。

・・・

この一件以来、私は
「先生」だからとか
「店員」だからとか
「年上」だからとかで
勝手にイメージを抱くのはよくないなと思い
できるだけフラットに。
自分と同じ人間なんだと思って接するように
心がけていた。

だがしかし、現実はそう上手くはいかない。

やっぱり「先生」は思慮深い人が多いし
やっぱり「店員」はサービス精神旺盛で
やっぱり「年上」はなんか敬ってしまう。

どうしてもフラットに接することができない。

なぜなのか。
これはひとえに、第一印象が原因ではないか。
最初に抱いた印象が強すぎるあまり
私の脳裏には「この人は、こう!」と
深く刻み込まれているような気がしてならない。

この性質ゆえ、私は一度嫌いと決めた人は
いつまで経っても悪い印象がぬぐえないし
一度好きだと思った人は隙あらば絶賛する。
単純と言えば単純。
阿呆と言えば阿呆である。
ううむ、これでいいのだろうか。

この性質を持ち続ける私というのは
いわば第一印象の奴隷のようなものである。

私は弱い。他人の見た目にめっぽう弱い。
簡単に嫌いになるし、簡単に好きになる。

しかし一番の問題は
そんなあやふやな自分のことが
案外悪くないと思っていることではないか。
これでは改善も何もあったものではない。

ううむ、自分っていうのは
考えれば考えるほどヘンで面白いかも。

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