夫婦の相槌
女性というのはすごい。
何がすごいって、話が終わらない。
仲良しの女性を何人か、ポンと置いておけば
明日の朝まで永遠に喋り続けるのではないか。
そんな感覚を覚えるほど、男性の私から見て
女性の会話力というのはものすごい。
女性はおしゃべりでストレスを発散する。
こんな話をあちらこちらで目にするけど
これは結構正しいことなのかもしれない。
・・・
さて、夫婦の相槌の話。
私は夫婦の相槌を「夫婦の核」だと思っている。
夫婦の相槌とは言っても
話す割合は圧倒的に妻が多いので
相槌を打つのは夫の割合が多くなるだろう。
(ウチではそうしています)
うん、へぇ、そうなんだ、マジで、凄っ。
妻の会話のテンポを意識して軽快にキャッチ。
夫の相槌が上手ければ上手いほど、妻は喋る。
妻が喋れば喋っただけ、幸せな家庭になると
私は本気で思っている。
なぜなら妻にとって会話とは必要不可欠なもの。
食事や睡眠と同じくらいに、生活に会話は必要。
食べなかったら体は弱る。
寝なかったら動きは鈍る。
会話ができないと荒れる。
荒れた状態の妻が料理を楽しく作れるだろうか。
いやあ、これは鈍感な私だって分かる。無理だ。
「夫と妻が寄り添って、仲睦まじく暮らす」
と願う夫は(私を含めて)たくさんいる。
「僕の隣でいつもニコニコしていてほしい」
と思う夫も(私を含めて)たくさんいる。
その願いを叶えたければ打てばいい。相槌を。
夫が相槌を絶妙に打てば願いは叶う。
「でも」「いや」「何言ってるか分からない」
これは相槌ではなく、ただの否定。
妻の生命維持活動に深刻な打撃を与える否定。
良くない。これでは妻はニコニコできない。
しかし時には妻の会話に(それはおかしい)と
苦言を呈したくなることもある。これは事実だ。
なんでもかんでも同意すればいいわけじゃない。
だからといって、いきなり
「でも」「いや」「ちょっといいか?」
と返してしまうのはうまくない。
「うん」「へぇ」「そうなんだ」と相槌を打って
ワンクッション挟むのがうまい方法。
「そんな面倒な!」
と思いたくなる男性は多いと思う。
私もそうだったので気持ちは分かるつもり。
結果的に苦言を呈するんだから、相槌で
ワンクッションを挟もうが意味ないだろ、と。
しかしどっこい、意味はあった。
相槌を打ってあげないと妻の話が行き場を失う。
話が行き場を失うと、妻はモヤモヤする。
妻がモヤモヤした状態では夫の話を聞けない。
つまり、苦言を呈してもほとんど意味がない。
むしろ妻のモヤモヤがイライラに変わるだけ。
これではうまくない。だから相槌を打つのだ。
「仕事で疲れて帰ってきて、家で休みたいのに
妻のいつ終わるか分からない話を聞きまくれ?」
私も頭では(話を聞かなきゃなぁ)と思いつつ
自分の疲れ具合で会話を拒否することもあった。
「そんな話」を聞いている時間なんかないよと。
でも「そんな話」なんてものはなかった。
だって妻の生命維持活動に必要なことだもの。
これを怠れば怠るほど「妻」は「妻」でなはい
別のなにかに変わっていってしまう。
それがようやく分かったとき
私は妻との時間を確保する生活にシフトした。
自分の生活のリズムを変えた。
妻の話に気持ちよく相槌を打てるようにした。
私の思い描いていた「夫婦」に近づいたのは
相槌を意識的に打つようになってから。
これからもナイスな相槌を打っていく。
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