ひとりの時間とふたりの時間
「ひとりの時間は、大切だよね?」
ぼくは問うた。嫁は頷いた。
「じゃあ、ふたりの時間も、大切だよね?」
ぼくは問うた。嫁は頷いた。
ぼくは満足して目を細めた。
・・・
この世には
お金よりも大事なものがいくつか存在する。
そのうちのひとつが「ひとりの時間」で
そのうちのひとつが「ふたりの時間」だ。
全人類に聞いたわけではないので
確実にそうだとは言えないのだけど
少なくともぼく自身はそう思っている。
さて
ぼくはこう見えても嫁が大好きで
隙あらばすかさず嫁と一緒に居る。
おしゃべりをしたり、アマプラを見たり
なにか美味しいものを食べたりするけど
一緒にいるだけで何もしないことも多い。
ただ一緒の空間に居たいのだ。
でもその一方で
ひとりだけの時間もこよなく愛する。
本を読んだり、ネット麻雀をしたり
noteをカタカタ書いたり、だらけたり。
そのとき誰とも一緒に居たくないのだ。
ひとりの時間と、ふたりの時間。
共通するのはどちらも癒されるということ。
ひとりだからこそ得られる癒しと
ふたりだからこそ得られる癒し。
ぼくは、どちらの癒しも欲しい。
交互に満たしていきたいと思う。
自分勝手に振る舞いたいのも本当の気持ち。
良き理解者が居てほしいのも本当の気持ち。
この欲張りな気持ちは、ぼくだけなのか?
気になったので、つい、嫁に問うたのだ。
どうやら嫁も似た気持ちがあると知った。
それでぼくは喜んだのだ。
・・・
「きみは、どっちがより大切だと思うの?」
ぼくは問うた。嫁はキョトンとした。
ぼくは反省して言いなおした。
「ひとりの時間と、ふたりの時間。
きみは、どっちがより大切だと思うの?」
ぼくは問うた。嫁は少し考えて
ひとりの時間と答えた。
「ひとりの時間と、ふたりの時間。
どちらも大切だけど、その割合は?」
ぼくは問うた。嫁は数瞬考えて
7:3と答えた。面白い!
・・・
ぼくの嫁はおしゃべりが大好きだ。
顔を合わせればなにかしらしゃべってくる。
それは夜の料理の献立のことだったり
姉の言動に辟易するとの愚痴だったり
「推し」情報を一方的に語ってきたり
特にこれといって一貫性はない。
嫁の話を聞いていると
女性はおしゃべりによってストレスを開放する
といった情報が本当なのだろうなと思えてくる。
だって、本当に楽しそうに話してくるのだ。
相槌が上手く決まるともうノリノリになる。
嫁が話して、ぼくが聞く。
このシンプルな構図こそが夫婦円満の支柱。
ぼくは昔からそう確信している。
まあ、とにかく、ウチの嫁は
おしゃべりが大好きということだ。
・・・
そんなおしゃべり大好きな嫁が言った
「ひとりの時間のほうが大切」
「7:3でひとりの時間」
これは本当に面白い。
だって、そうだろう。
いくら長年一緒に居るからと言っても
やはり会話をしないと心は分からない。
その人間関係の基本たるべきことが
思いがけず、再確認できたのだから。
自分でも気付かずに積み上げていた慢心。
驕り。気付かせてもらった。実に面白い。
これだから嫁との会話は楽しいのだ。
ぼくの「ふたりの時間」は大満足更新中である。
だからこそ
ぼくの「ひとりの時間」も満足度がかなり高い。
ひとりの時間と、ふたりの時間。
どちらも大切というお話でした。