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泥水
「珈琲なんて泥水だ」
と主張する人がいると聞いた。
その人と直接面識はないが
会おうと思えば会える。そんな距離の人。
その表現と味覚には少し興味を覚えるが
おそらく会うことはない。
よしんば会ったところで
仲良くはなれないだろう。
珈琲は泥水と同程度という価値観は良いのだ。
それはその人の正直な感想なのだから。
しかし意思を持って泥水と口にするならば
私には度が過ぎる揶揄に聞こえてしまう。
自分が嫌いだというだけで
貶めて良い理由になるとは思わない。
たとえ「泥水」が深い意味のない発言でも
言葉には責任が伴う。
言葉とは、人格。
発した人の心そのもの。
自信に満ちた言葉は人に自信を与えるが
行き過ぎれば傲慢にもなってしまい
自己主張の無いどっちつかずの言葉は
敵意は向けられないが尊敬の眼差しも無い。
心にもないことをベラベラ語る者は
やがて言動の不一致により身を滅ぼす。
これは、言葉は選んで使うべきだと
言いたいわけではない。
どんな言葉を用いても必ず誰かには嫌われる。
そういうことを言いたいのだ。
・・・
ううん、かたくるしい。
かたっくるしいなぁ。どうしたの私。
やめやめ。ゆるくいきましょ。うん。
そう、私はね、めんどくさいヤツなの。
他人の発言に少しでも「おや?」と思ったら
突っ込んで聞きたくなる性分なのよ。
昔から、少し仲良くなった友達には
厳しく追及してよく喧嘩になってた。
ウチの嫁様とも、仲良くなってから
結構指摘してたね。
そしてそのたび、空気悪くしてたよ。
私の頭は100%「良かれと思って」
言ってるからタチ悪いよね。
なんていうか「正義マン」って感じ。
言葉尻を捉えて指摘する細かすぎ男。
我ながらメンドクサイもんだったよ。
そんな私でもね、学習したのさ。
こんな細かいことばっかり言う男って
ヤバいね!改善しなきゃ!って猛勉強。
そんで相手の価値観を一端受け止める
っていう技術を学んだわけさ。
これを言い換えると
相手の言葉に逐一嚙みつかないってワザ。
兎にも角にもまず受け止める。
これを何十回、何百回と繰り返して
ようやく自分の体に沁み込んで来たら
まあこれが、対人関係楽になったよね。
もちろん、嫁様とのコミュニケーションも
遥かに長続きするようになったんだよ。
出会った当初は
『話題のストック』を用意することで
30~60分間話すことができたんだけど
今は完全ノープランで2~3時間話せるし。
そうなってくると他の人との会話力も上がる。
まさしくいいことづくめ。
私にドンピシャで合ってたんだよね。
・・・
言葉ってのは、奥が深いよね。
心を乗せることができれば力強くなるし
鍛えれば表現方法は無限に枝分かれもする。
幼少期から小説を読みふけったせいか
私は言葉の表現、文字の羅列だけで
読者の脳内に情景を浮かべられる小説家を
本当に尊敬しているんですよ。
すごすぎでしょう。さすがプロって感じ。
だからおそらく、無意識レベルで
「それ」を他人にも求めちゃったのかな。
言葉を正確に、ただしく使うことを。
ただの価値観の押し付けだってーのにね。
言ってる本人だけが気付かないってオチ。
言葉や表現は大事だと思うけど
それにコダワリ過ぎて人との関係がこじれたら
それはそれでもったいないなあと気付いたです。
言葉はいくら学んでも一向に終わりが見えない。
だからこそやりがいあるよね。