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会話レベルのちがい

「数段上から、自分だけ傷つかない距離から
話しているからぜんぜんこっちに響かない!
いいから同じところまで降りて来て話せよ!」

これは私が中学生のころ
親との会話が妙に腹立たしいのは何でだろう?と
モヤモヤしているときに強引に言語化した言葉。
とても怒っていたので未だに記憶に残っている。

これは自画自賛になるのだけど、我ながら
中学生でなかなか上手い事を言っていると思う。

どうして「親」っていうだけで
必要以上に偉ぶろうとするのだろう?

未経験だから分からないことを尋ねただけなのに
「なんだお前、そんなことも知らんのか?」と
子どもにマウントを取って何が楽しいのだろう?

そのくせ、子どもだけが知っている話をすると
「そんなこと知らん」とそっぽを向いてしまう。

なんだこれ、こんなんで会話なんかできんよ…
親子の会話が無い!とか嘆いている親世代は
過去の我が子への接し方を反省すべきでは?

…いけない、いけない
気を抜くと親をディスる論調になってしまう。
今回はそんなことを言いたいんじゃなくて…

「私たちの会話レベルに何故差があるのか?」
こういうことを言いたいわけなんです。はい。

大人になった私たちってハッキリ分かれるよね。
会話が得意!好き!っていう会話レベル高めと
会話が苦手!嫌い!っていう会話レベル低めに。

これ、生まれ持った性格だけが原因じゃない。
私は幼少期の環境要因、つまり親がかなりの
ウエイトを占めていると思っているんだよね。

・・・

結論から言ってしまうと
幼少期に母親と良い会話をたくさんした男の子は
会話レベルがモリモリ上がって生きやすくなる。
これです。

女の子は幼少期から大人びた口調を真似して
勝手に会話レベルを上げる人が多いから除外。
やっぱ男の子なんだよ会話レベルが低いのは。
「男がぺちゃくちゃ喋るな!みっともない」
なんて時代は終わっているから、会話は大事。

で、幼少期の男の子が一番喋る存在は、両親。
両親でもやはり、母親のほうがキーパーソン。
だって男の子にとって一番身近な異性だから。
その異性と対等な立場で話し合うことが経験。
会話レベルを上げる経験値となるわけですよ。

「ねえ長男くん、今日の宿題はやったの?」
「長男くん、早くお風呂に入ってくれる?」
「散らかしたらどうするの?片付けるよね」

「会話」ではない例

あ、ちなみに上記の三つはこれ会話ではなく
ただの命令です。早くやれって意味の命令。
当然、親子の良い会話なんかじゃないです。

でも私が幼少期のころって
こういう風に親が子供に指示するだけの
声のかけ方が一般的というか蔓延っていた。

やや、誤解しないでほしんですけど
親として一般常識を我が子に教えるのはOK。
それを親子の会話と思わないでほしいって事。
じゃあ親子の良い会話ってどういうの?というと

「今回のコナンの映画、長男くんはどう思った?
お母さんは新一とキッドの掛け合いが良かった」

「さっき買い物したとき、気になる子がいたの。
商品を持ってウロウロ歩いてて、私驚いたのよ」

「この絵本、実は私も子どもの頃に読んだのよ。
お母さんはねぇ、この場面で感動しちゃってね」

コナン大好きお母さんの会話

このように
共通の立場で感想を言い合うような会話です。

もっと分かりやすく言うと大人同士の会話。
大人同士が最低限の礼儀を守って行う会話。
決して相手を見下さず、尊重して行う会話。

母親がこれをやってくれるだけで男の子は
ググン!と会話レベル上がっちゃいますよ。

ちなみに私の話になりますけど
私が中学生でイライラ思春期だったときに
私の母親は親の威厳とか振りかざさないで
逃げずに正面に立って話をしてくれたのよ。
あれは驚いたけど、嬉しかったなぁ。
あの時はじめて尊敬した。すごいと思った。
もう亡くなったけど、未だに尊敬してるよ。

親が子と同じ土俵に立って話をする。
私はこれだけで子が親を尊敬すると思うんだ。

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