珈琲の真実
…しっ
静かに。
今日は、珈琲の真実について
ひっそりと書いていきたいと思う。
まどろっこしいことは嫌いだから
結論から言ってしまうね。
珈琲とは
皆がそこまで関心を持たない嗜好品である。
ふう。これこれ。言っちゃったよ。
・・・
「次郎!この珈琲美味しいね。どこの豆?
なんか味わいが複雑っていうかウマいよ」
先日のはなし。
お盆休みに兄夫婦が甥っ子を連れて来た。
美味しいケーキを持ってきてくれたので
こっちとしても良い珈琲を振る舞いたい。
そう思って淹れた珈琲への感想が、これ。
そう、ウチの兄は珈琲の違いが分かる男。
ついでに言うと兄の奥様も、味覚が鋭敏。
こんな良夫婦には珈琲の淹れ甲斐がある。
私はすっかり上機嫌モード。はっはっは。
ちょっと待ってほしい。
仮に、ここに100人の人間を連れて来て
私が最高の珈琲を振る舞ったとしよう。
「美味しい」とか「ありがとう」とは
言ってくれるだろう。でも
そのうち何人が「珈琲の味」に言及するだろう。
おそらくゼロだ。限りなくゼロに近い。
なぜなら普通の人にとって珈琲はただの珈琲。
もっと言ってしまえばお茶や紅茶と同じ扱い。
単なる飲み物としか認識していないのだから。
兄が「珈琲の味」に言及したのは
これらを全て兼ね備えた尊敬すべき人物だから。
つまり「珈琲の味」に言及したのはプレゼント。
私に好意と言う名のプレゼントをくれたわけだ。
これを、私と希薄な関係性の第三者ができるか?
おそらくできない。そもそも、言う必要がない。
だからこそゼロ。珈琲の味に言及する人はゼロ。
そう、珈琲の味とは、極端にマズくなければ
話題にすら上らないのが普通で一般的なのだ。
「ある程度」美味しければ、それは良い珈琲。
珈琲豆の品種や淹れ方を訊く人はまずいない。
幸か不幸か、私の周りには珈琲好きが多い。
または珈琲へ理解を示してくれる人が多い。
だからだろう、私はついつい勘違いをする。
世の中の人のほとんどが、珈琲に関心があると。
とはいえ、全く珈琲に関心がない訳じゃない。
日本人は珈琲が好きな国民性だ。
その証拠にコーヒーチェーン店は流行ってるし
どこのコンビニでもコーヒーは売れ筋商品だし
いわゆる「高齢者」でさえ珈琲を好む人は多い。
しかし、珈琲を好む人のほとんどが
珈琲の味を追及しまくっているわけではない。
珈琲「っぽい」味であれば満足できてしまう。
私のように、豆を吟味して、豆の状態で購入して
飲む直前に豆を挽き、ペーパードリップで淹れる
なんてことをしている人はそうそういない。
それもそのはず。
香味焙煎などのインスタントコーヒーや
マグカップにセットして湯を注ぐだけの
ドリップパックで充分美味しいのだから。
もしくは缶コーヒーで手軽に飲めちゃう。
私のやっていることは自己満足。
趣味の領域だと思っている。
・・・
まとめに入ります。
どうしてこの記事を書こうと思ったのかと言うと
なんで皆、珈琲の味が好きな人が多いのに
美味しい珈琲に触れる機会が少ないのだろう
と、常日頃悶々としているからである。
ハッキリ言ってしまうと
珈琲店以外で出される珈琲は
そのほとんどが美味しくない。
ちょっとした外食や喫茶店の珈琲でさえ
大量に淹れて保温を持続しまくった珈琲や
紙パックのお手軽低コスト大容量珈琲
はては旧世代の珈琲マシンで淹れたものなど
悪い方向性で味にばらつきがあるものばかり。
これら今一つな珈琲を飲んでしまったが故に
(珈琲って美味しくないじゃん)と思う人が
どれだけ誕生してしまったのだろうか。
いや、わかるよ。
珈琲は嗜好品。
皆が「そこまで」こだわらない嗜好品。
ブラックで飲むのが好きな人もいるし
チェーン店の甘いアレンジを好む人もいる。
人の好みにあれこれ口出そうってわけじゃない。
私が言いたいのは
「良い豆」+「挽き立て」+「淹れたて」を
一度飲んで見て欲しいなってことです。
できれば自宅で、自分で淹れてみて。
その体験をしてほしいと思うのです。
もちろん、やってみて合わない人はいる。
でも、合う人もいる。
私みたいに初めて淹れたときに感動して
「うおおお!?」と十杯くらい一気に飲んで
トイレに何度も通うことになる人もいるはず。
(いるかな…)
まあ、つまり、私は
珈琲好きな人が増えると嬉しいなって。
そういう話でした。