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私と嫁様の距離
夫婦は距離感が大事だと思う。
ずっと近くにいたら疲れてしまうし
かといって遠巻きに眺めているなら
一緒になった意味が分からなくなる。
必要なときにピッタリとくっつけて
場合によってはドアを閉めて離れる。
そんな丁度よい距離が大事だと思う。
「夫婦の距離感」
これは私が同棲時代から思っていたことで
絶対に良い結婚生活を送るんだ!と
心の拳を握りしめていた私は嫁様に宣言した。
部屋は各自、別々の部屋を持とう!
結婚した際、嫁様に宣言したのだ。
・・・
「え、どうして?」
嫁様は言った。意味がわからない、と。
同棲時代はお互いの部屋はなかったが
それで問題もなく楽しく過ごしていた。
今さら部屋を個別に持つ意味ある?と。
むむぅ…それはそうなのだけど。
でもほらなんか、ストレスが溜まりそう?
いくら仲が良くても、一人の時間というか
やっぱり部屋が必要になるんじゃないのかな。
いやきっと必要になるよ。のちのち。必ず!
「だいじょうぶだって。そんなことないよ」
嫁様は譲らなかった。
個別の部屋なんか必要ない、と。
そりゃあケンカをして気まずい時もあるけど
少し別の部屋でクールダウンすればいい、と。
実際同棲時代はそれで問題なかったはずだ、と。
うーむ困った。実体験をベースに話す嫁様と
「かもしれない」想像をベースに話す私では
説得力がまるで違う。嫁様の完全勝利だ。
結局、これといった決定打を持たない私は
個別の部屋を持つことをあきらめたのだ。
・・・
そうして共同部屋ばかりの結婚生活が
始まったわけだけど、意外なことに
現在までこれといった問題は起こっていない。
口も聞きたくない!顔も見たくない!
みたいな感情にならなかったのか?といえば
そりゃあ、時には訪れるけども
「やっぱり個別の部屋は必要だった」
なんて思いまでには至らない。
むしろ結婚生活を思い返してみたら
共同スペースが多すぎるのも悪くないな
とまで思えてしまう。
私はずっと、自分のペースを乱されることが
大嫌いでイヤなことだと思っていたんだけど
嫁様に乱されることは、イヤではないみたい。
小説に没頭して読み耽っているところに
「これ美味しいよ。食べる?」と
お菓子を押し付けられるのもイヤではない。
スマホゲームに熱中しているところに
「いっしょに掃除しようよ」と
身体を揺さぶられるのもイヤではない。
風呂でのんびり動画を見ているところに
「げっへっへ。お背中流しましょうか」と
乱入してこられるのもイヤではない。
おかしいな
私はこんなに心が広くなかったはず。
もっとこう…
うるさいな!俺の邪魔をするな!
みたいにキレ散らかす男ではなかったのか。
どうしちまったんだ、こんなに丸くなって。
いや、たぶん、今でもその気はある。
私のやっていることを邪魔するのが
嫁様意外の人だったらキレるだろう。
私のプライベートに干渉するんじゃない!と。
…となると、アレか。
もはや嫁様は私のプライベートの一部なのか。
私が嫁様の事を「私の一部」と判断したのか。
自分で自分を嫌いになる人はそうそういない。
つまりはそういうことなのかもしれない。
・・・
結局のところ、私と嫁様の
「最適な距離」というのはどのくらいなのか?
私が思うにオールレンジ。
オレンジじゃないよ。オールレンジ。
すなわち全方位どんな距離でも私たちにとって
「最適な距離」なのだと思う。
目の前にいようがブラジルにいようが
つまりはどこにいても面白い存在ってわけ。
まさか、心が狭くてすぐキレていた私が
こんなにも他人を許容できるようになるとは。
人生は面白い。そんで嫁様も面白いなあ。