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嫁ちゃんと「歌」
突然だが、ぼくは音痴だ。
よく音程を外してしまう。
いや、狙った音程を出せないと言うべきかな。
ぼくが音痴だと自覚したのは小学五年生の時。
当時の担任の先生が恐ろしい試みをした時だ。
恐ろしい試みとは何か?
それは生徒一人ずつ歌わせて、録音し、更に
クラス全員の前で流すといった悪魔の所業だ。
ぼくはこの時まで、まさか自分が音痴だとは
夢にも思わなかった。思わなかったのだが…
ぼくの歌声がクラス全員の前でひびきわたる。
ドリフの大爆笑を遥かに超える爆笑が起こる。
一瞬、なにが起こったのか理解できなかった。
(この変な歌声は誰?)と心底不思議だった。
(あ、もしやぼくの声?)と気付いた瞬間に
ゆでだこのように顔面が真っ赤になっていた。
それから思春期に突入。
学校帰りにカラオケが流行っていた高校時代。
音痴を自覚していたので女子の前では絶対に
歌いたくなかったのだが、一人だけ歌わない
なんて絶対に白けることも分かっていたので
ぼくは歌う。シャウト系の歌をこれでもかと。
歌が上手い友達が心の底から羨ましかった…。
時は流れ、嫁ちゃんと出会う。
嫁ちゃんはカラオケが好きだったこともあり
よくカラオケデートに行った。当然のように
嫁ちゃんは歌が上手かった。複雑な気持ちだ。
音痴の諸君へどうしても伝えたいことがある。
好きな人に音痴を晒しても大丈夫ということ。
まあ、始めのうちは爆笑されてしまうだろう。
高音が出ない自分の喉を呪いたくなるだろう。
でも良い。それでいいのだ。なんぼのもんだ。
音痴だからって別に死ぬわけじゃないんだよ。
ましてや好きな人にフラれることもないのだ。
恥ずかしい所をさらけ出したら、強いのだよ!
現に、今ぼくたちはめっちゃ仲がいい夫婦だ。
音痴を自覚して数十年経った現在のぼくは
相も変わらず見事な音痴っぷりだ。
自分なりにトレーニングもたくさんやったが
50点が65点に上がった程度。焼け石に水だ。
だが、それがいい。
音痴のぼくだから気付いたことがある。
実は、音痴というのはものすごい強みなのだ。
色々あって現在のぼくは人前で歌えるほどの
強メンタルを手に入れた。
人の耳を奪う歌には二種類ある。
超絶上手い歌声か、もしくは微妙にヘタかだ。
ヘタな人が頑張って歌うと凄いことが起きる。
(こんな微妙な人が歌っているんなら…)と
驚くべき事に周りが一緒に歌ってくれるのだ。
微妙にヘタな歌は心の壁を取り払ってくれる。
歌ってのはとどのつまり、楽しんだもの勝ち。
音痴だから絶望しかない?何を言ってるんだ。
音痴だからこそできる歌の楽しみがあるのだ。
・・・
コロナ以降、カラオケデートは無くなったが
ドライブデートでの車内カラオケは大盛況だ。
時には「替え歌」で即興でバカバカしい歌を
歌い合うぼくたち。たまに出る神曲に大爆笑。
歌は二人を繋ぐコミュニケーションツールだ。
ふと妙な考えがよぎる。
あのときに「音痴」をさらけ出さなかったら
ぼくたちの関係性はどうなっていただろうか?
多分、今ほど仲良くなっていなかったと思う。
もしかしたら結婚せずに別れていたのかも…。
なぜなら嫁ちゃんが大のカラオケ好きだから。
歌のない夫婦生活なんて全く想像ができない。
誰が言ったか、歌は魂の共鳴だそうだ。
音痴かどうかなんて関係ないんだよ。分かる。
二人で歌って、楽しい。面白い。充分だろう?
この記事は「仲良し夫婦サークル」の
企画参加記事です。