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漫画を描く

もう年の瀬だからと
自分の記憶の棚卸しをしていたときのこと。

おや!

おやおやおや!

中々に面白い記憶を掘り出してしまった。
私がはじめて漫画を描いた時の記憶である。

そうだそうだ、この時の私は漫画が大好きで
いっちょ漫画家になってやろうか
なーんて思っていた若造だったのだ。

みなさんも知っての通り、漫画家というのは
自分の頭の中を現実に持ってくることができて
他人の心や社会全体に影響を与えることもできる
恐ろしく優秀で凄まじい才能と弛まぬ努力、更に
運。これら全てを兼ね備えたような超人のこと。

決して平々凡々と暮らしている私のような男が
「いっちょ漫画家になってやろうか」などと
軽々しく口にしていいことではない。
あまりにも失礼が過ぎる。

まあしかし、ここは右も左もわからぬ
くちばしが黄色い高校生だった私ということで
そのあたりは目を瞑っていただきたい。

・・・

「次郎くん、君絵がうまいね」

美術の時間。私の描いたデッサンをちらりと
目にした先生が声をかけてくれた。
素直に喜べばいいものを、ヒネていた私は先生に

どの辺が上手いんスか?こんなのフツーでしょ

なんて無礼な口を叩いていた。
だが先生はこんな私の言葉に嫌な顔ひとつせず

「特徴をよく捉えている」

と答えてくれた。
そこで私は初めて分かった気がした。

おれって、特徴を捉えるのが上手かったのか

たしかに、幼少期から周りの友達に
絵を褒められることが多かった気がする。
でも私は、なぜ褒められるのか分からなかった。

みんなも同じように描けばいいだけなのに?

そんな疑問が頭から離れなかったのだが
ようやく高校生にして先生の言葉で
頭の中のモヤモヤが晴れた気がしたのだ。

気分を良くした私は絵を描くことに
少しだけハマった。
でも多感なお年頃、自意識過剰が過ぎたので
決して他人に見せることはなく
自分一人でニヤニヤと楽しんでいた。

・・・

よし漫画を描いてみよう

あれは夏休みだったか、冬休みだったか。
暇を持て余していた私は唐突に思い立った。

当時の私は長年温めてきた最高のアイディアが
あるわけでもなく、特に描きたい題材もない。
本当にただ、なんとなくの思い付き。
最初の一コマすら描けないのは自明の理である。

目的はないけどエネルギーだけは過剰搭載の私は
なんとしてでも漫画を描いてやる!という
思いを成就させるべく、色々調べることにした。
漫画の描き方を。

やがて辿り着いた道が模写

どうやら漫画というのは
作品を自分が同じように描いてみることで
作者の意図がビビッと分かるものらしい。

ほんまかいな、という思いと
おもしろそう、という思いが交差したけど
方向が定まった感覚を得た私は早速描き始めた。
幸いにも私は模写が大得意である。

・・・

お、おもしろい…!

勢いに任せて二ページ描き終えたところで
私は目をかっぴらいて驚いた。

自分で描いた目の前の絵が、おもしろい!
それが有名作家の作品の模写に過ぎないと
頭で分かっていてもなお、おもしろいのだ。

コマ割り、キャラクターの構図、台詞回し
全てに意味があるのだと骨身に染みた瞬間。
漫画を読んでいるだけじゃ絶対気付けない。
作者はこんなスゲエことをやっていたのか。

やばいやばい、模写やばい。

興奮した私は一気に残りのページを描き出し
そして完成。模写完成。

はじめから読むとやっぱり面白い。
ただ模写をしただけなのに。
自分のアイディアなんてひとつもないのに。
ただただ、ニヤニヤが止まらなかった。

・・・

結局、まともに描いた(模写)漫画は
それだけ。

一度描き終えたことで満足してしまったことと
このクオリティを定期的に描くなんて化け物か
と思い知らされたことで熱が引いたのだ。
本当にプロの漫画家は途轍もない超人だと思う。

もう漫画を描くことはないだろうけど
一度でも描いて(模写して)良かったと思う。

これは漫画に限らないことだけど
何かのスキルを伸ばそうとするならば
「守破離」の概念が途轍もなく大事なのだ。

守破離の「守」。
ただひたすらに、師の教えを守って行うこと。
これの意味を高校生の内に知れたのは大きい。

ありがとう。漫画。

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