手のひらで転がす
手のひらで転がすという言葉があります。
この言葉にどんなイメージを持つでしょうか。
私はけっこう良いイメージを持っています。
掌中の珠を慈しみ、撫で、愛でる。
そのような「大事にする」イメージです。
「もてあそぶ」ではありません。
何を言いたいのかというと
夫婦生活において手のひらで転がすという感覚は
大事なものなのではないか、ということです。
・・・
もちろん、手のひらで転がすという言葉は
相手を操るという意味合いが強めです。
褒めて、おだてて、その気にさせて
自分の望む方向に導くことが本来の意味。
悪女が初心な男を意のままに操るという意味で
使われることが多いため、手のひらで転がすは
どうしても性悪なイメージがぬぐえませんが
そこで思考停止して悪いものと決めつけるのは
いかがなものかなぁと思っています。
たとえば「褒める」「おだてる」ですが
これはコミュニケーションの基礎の基礎。
パートナーがしてくれたことに対して
「ありがとう!助かる!」
「さすが〇〇さんだね!」
と感謝の意を示すことは悪い事でしょうか。
これは間違いなく褒めていますし
捉え方によってはおだてている事にもなりますが
そんなに悪いことでしょうか。
私は、パートナーに「感謝の言葉」を伝える事は
夫婦関係を良好にする上でこの上なく大切な事で
なんなら仲良し夫婦の必須条件だと思っています。
朝、起こしてくれたら「ありがとう!」
朝食を作ってくれたら「ありがとう!」
衣類洗濯してくれたら「ありがとう!」
弁当を作ってくれたら「ありがとう!」
買い物をしてくれたら「ありがとう!」
これらを私は毎回言っています。
打算的な意味はなく、本心からですけど
相手からしたら私の本心はわかりません。
もしかしたら打算的に映っているのかも。
でも、相手がどう思おうと関係ない。
私が言いたいから言っているんです。
好きな人には感謝の言葉を率先して伝えると
私が決めているから言っているんです。
・・・
私がどうして感謝の言葉を言うように
なったかというと二つの理由があります。
ひとつは、学んだ結果です。
感謝の意を伝えつづける夫婦と
感謝の意を全く言わない夫婦では
圧倒的に前者のほうが幸せになれる。
これはあらゆる「夫婦円満の秘訣」が
肯定していることなので明らかです。
ふたつめは、私の実体験です。
私の父親はよっぽどのことがない限り
感謝めいた言葉を口にしない男です。
当然のように母親に対して言いません。
おちょくったり、小馬鹿にするような
言葉はポンポン出るのに「ありがとう」は
子どもの私は聞いた記憶がありません。
子どもの私から見た両親は
あまり幸せそうには見えませんでした。
母親は早くして亡くなってしまいましたが
父親に対しての恨み節を私に残しました。
(まあ、そうだよね)というのが
恨み節を聞いた正直な感想です。
もっと私に言ってくれて良かったのに。
もっともっと聞けなかったのが心残りです。
私は単純なので
(じゃあ感謝の言葉、言おう)と決めました。
パートナーに隙あらば言いまくりました。
今のところ、感謝の言葉を伝えたことで
悪い出来事はひとつも起こっていません。
・・・
私が妻と結婚する前のことになりますが
とある女性上司からこんなことを言われました。
「次郎さんはよく相手を褒めているけど
わたしはできないの。軽々しく褒めれないの」
その女性上司は私の父親と世代が近いので
おそらく褒めることに抵抗のある世代
なのでしょう。
理屈では褒めることは良いことだと分かるけど
どうしても実行に移すのが難しいそうです。
そんなことを私に話してくれました。
彼女の家庭の事情は全く分かりませんが
(褒められないって難儀だな)と感じました。
つまり、私が言いたいのは
それが純粋な気持ちから来ているものだろうが
それが打算的な目的から来ているものだろうが
「褒める」言葉は伝えた方が良いということ。
全く伝えないより100億倍良いです。
だって、ウチはそれで息苦しさもないですし
お互いスッと、感謝を言い合える雰囲気です。
少なくとも私の両親の雰囲気ではありません。
・・・
私は妻を手のひらで転がしています。
おそらく妻も私を手のひらで転がしています。
お互い良い雰囲気で楽しく過ごせるように
「笑顔」「感謝」「ねぎらい」をフルに使って
お互いを手のひらで転がしまくっているのです。
よしんば相手を「誘導」していたのだとしても
その誘導先がお互いのためになる道だったら
私は全然良いと思うんですよね。
だから、手のひらで転がす容認派なのです。
ただし「独りよがりの善意の押し付け」にだけは
ならないように。
都度振り返って見つめなおすといった戒めを
怠らなければいいのかなって。
私はそう思います。