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文章と、おはなしと、note

文章は好きだ。
書けば書くほど
自分の心をすっきりと整理できる。
モヤモヤした思いがクッキリと形になる。

主張したいことの輪郭が浮き彫りになる。
論理的っぽい言い回しだってやりやすい。

なにより、保存できるのがデカい。

後から見返してニヤニヤできるのが良い。
なんとなく上手いこと書けたときなんて
お気に入りの画像フォルダに保存できた感じ。

一方で、話すのも好きだ。
一人でぶつぶつ独り言を喋るのも結構好きだ。
もちろん他人に向けてまくし立てるのも好き。
一方的にベラベラと喋るのは中々クセになる。

会話だって好きだ。
最近は「聞くのも面白い」って気付いたので
いかにして相手から話を引き出すか?なんて
雰囲気重視で傾聴スキルを鍛えるのも楽しい。

文章を書くのと、おはなしすることは
似ている。
自分の心を解き放つという意味で似ている。

私は私の事を分かってほしい。共感してほしい。
だから文章を書くし、おはなしもするし。
どっちも好きなんだと思う。

・・・

私はラッキーだと思う。
小学生時代に親友(男)と巡り合ったからだ。
(私が一方的に親友って思っているだけ
なのかもしれないけど)

彼との会話はすこぶる楽しかった。
本音と本音のぶつかり合いが脳汁を刺激した。
私の馬鹿な意見に馬鹿と言ってくれることが
喜び。情緒不安定な私は時に拳で語ったけど
彼は私よりも強かったのでボコボコにされる。
喜び。泣くほどムカつく喧嘩は最高に楽しい。
彼は何やってるかわからないが、そのうちに
また会えるだろう。その時は散々溜め込んだ
話を解き放って楽しませてやる。楽しみだな。

私はラッキーだと思う。
嫁ちゃんと巡り合ったからだ。
会話がこれほどまでに飽きない人がいるとは。
まあ、親友(仮)とは会話の質がちがうから
どっちが良いとかそんな無粋な話じゃあない。
どっちも良い。どっちも最高。ワンダホーだ。

一度彼と嫁を交えて遊んだことがあったっけ。
不思議なことにまるで噛み合わなかった(笑)
変に意気投合されても嫌だけどよもやよもや
水と油くらいに合わないなんてそんなマジで。
私と、彼と、嫁は、みんなどことなく不器用。
クセが強いというのかアクが強いというのか
模範生徒みたいに人づきあいが上手くはない。
でもそれがいい。
たぶん私は優等生とそこまで仲良くなれない。
個性的な形のピースのほうがパチンとハマる。

私はラッキーだと思う。
noteに巡り合ったからだ。
文章をこれほど、楽しく書ける場があるとは。
note以前にも、別の場所で書いてはいたけど
noteと違って継続が難しいのなんの。不思議。
同じ文章を書くにも環境によって「書きたい」
のモチベーションがあきれるくらい全然違う。
プラットフォームを選ぶことは、大真面目に
今後の人生に影響を与えるくらい大事なこと。
「軽い」「見やすい」「とっつきやすい」は
正義。「スキ」「コメント」もありがたすぎ。

私の文章がナチュラルに化粧されるというか
見やすくて、キレイにまとめやすいというか
パッと見では気付かない工夫が詰まっている。
noteはすごいのだ。もっと評価されてもいい。
まだ世間の評価が足りないのは、まだ世間が
noteの良さを知り得ていないからだ。愚かな。
まあ私も愚かなので愚かなりにアピールする。
愚か同士そのうち共鳴するだろう。知るのだ
noteの素晴らしさを!

・・・

文章は娯楽。おはなしも娯楽。noteも娯楽。
自分の心をさらけ出して誰かに見せるのって
脳が痺れるほどゾクゾクする。
あ、もちろん否定無し、受け入れ前提で、ね。

否定を生きがいにする人間はどこにでもいる。
だから私はそんな人に絶対にさらけ出さない。
さらけ出すのは心が共鳴した人だけにだよね。

ああ珈琲がうまい。

私と話が合う人は最高にありがたい存在。
その人にもっと分かりやすく伝えたくて
学ぶからね。話し方も、文章も。磨くよ。
ただその人と巡り合っただけで成長する。
はぐれメタルも真っ青の経験値あざます。
たぶんいつの間にか幸せの靴も貰ったな。
歩いてるだけでレベルアップよ。最高か。

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