夫婦のひみつ
「このっ、泥棒猫ぉお!!」
私がその昔見ていた昼ドラ。
若い女性に顔面にコップの水を浴びせて
食事にはコロッケと称したタワシを出し
ドロドロ泥沼の愛憎劇が繰り広げられる…
(女って怖いんだな…ごくり)
と震え上がりながらも
指の隙間から画面を見ていた私です。
でもストーリーをよくよく見てみると
男がホイホイと浮気しちゃうんだよね…
えっ、そんなの絶対バレるやつじゃん!
て思って見てたら案の定すぐバレる。
この荒唐無稽な展開が一周まわって
妙に面白い。めっちゃツボに入った。
そっか、男ってぇのは結婚した後でも
こんなに誘惑があるし不倫もするのか。
そんな誤った倫理観の種を頭の片隅で育てつつ
私の少年期~青年期は過ぎてゆくのであった。
・・・
昼ドラの話?
いいえ、夫婦のひみつの話です。
少年の私はこんなことを思っていました。
当時の私の思考は単純明快。
結婚するなら全ての情報を共有するのが当たり前
という考えを持っていたのです。
それは「他人同士が一緒に暮らす」ではなく
「相手が自分のモノになる」という考えです。
束縛タイプの基本思考がこれかなと思います。
パートナーの一挙手一投足を管理していれば
確かに「間違い」は起こらないかもしれない。
しかし、それは幸せな夫婦生活と呼べるのか?
当時の私はそこまで考えが至りませんでした。
・・・
その後たくさんの失敗を重ねた私は
徐々に柔軟な思考ができるようになり
女性との向き合い方が変わっていきました。
たとえ全てをハッキリさせたところで
誰も幸せになんかならない。むしろ不幸になる。
余計なことを根掘り葉掘り聞くもんじゃない。
誰にだって言いたくないことはある。
ていうか自分だってあるじゃないか。
自分を棚に上げて相手に無理を強要するのって
めっちゃダサいんじゃない?
少なくとも対等の相手にすることじゃないよね。
…という考えにシフトしていったのです。
つまり、夫婦であっても秘密はあって当然。
むしろオープンにしすぎたらかえって危険。
今ではそんなふうに思っています。
なんでもかんでも秘密じゃ不信感が募るし
あけっぴろげの100%開放でもつまらない。
この「秘密」と「開示」のバランスが
うまくとれている夫婦こそが
仲良く過ごしていける大事な要素なのかなって
そんなふうに思います。
・・・
とはいえ
ウチは結構「開示」が強めなんですよ。
感覚的に言うと、お互い60%くらいは
腹の中を見せあっているような雰囲気。
あ、もちろん
無理やり聞き出したとかじゃなくて
日々一緒に過ごしていく中で時間をかけ
薄皮が剥がれるように、お互い自分から
「実はね…」と言い出した感じです。
これは私の感覚的なことですけど
・自分の恥ずかしい過去
・自分のダサい今
こういったことを変に自虐的にならずに
サラッと言い合える関係性になれたなら
それは素敵な夫婦なのかなって。
そんな相手のエピソードを聞いて
からかったり、バカにしたりするようなら
まだちょっと夫婦が楽しめてないのかなって。
そんなふうに思うのであります。
この記事は「仲良し夫婦サークル」の
34回目の企画記事です。