今の僕がいるのは、紛れもなく母のおかげで。
僕の親は僕が小さい時に離婚をした。
その「離婚」をすることを小さい時に知らされたあの日、僕は最低なことを言ったんだと今になって思っている。
「そりゃ父さんじゃろ!」
こんにちは!将太郎です😁
いつもは夢である「世界一周」のために毎日バイトしています。目標金額800万!めちゃくちゃ遠いけど頑張ったらいけます✌️このnoteでは僕が普段考えていることや、読書で感じたこと、頂いたお悩みに答えたりしてます。毎日更新中
僕はあの日自分で言った言葉を覚えていて、多分母も覚えていると思う。僕の隣にいた弟は「そりゃ母さんじゃろ!」と言っていたのさえ覚えている。
1番ショックだったのは母だったかもしれない。それでも僕はその気持ちに気づくこともなく、あの頃はいた父と「父さんと一緒に暮らしたらWiiでも買おうな!」なんて話した。のも覚えている。
それである日、ソファに座っていると、母が目の前に来て言った。
「本当にお父さんのところに行くの?母さんにも弟にも妹にも会えなくなるよ?一緒に住んでいるばあちゃんじいちゃんにも会えなくなるよ?いいの?」
目の前で本気の目で言われて、僕は気づいたんです。
あ、父のところに行くのは違うな。さみしいな。
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そして現在。今の僕がいるのは紛れもなく母のおかげである。女手1つで3人の子供を育ててくれました。(父からの養育費はほぼなしだったらしい)
僕らがまだ小中学校に通っていた時に、母は夜遅くに講座を受けに行き、ちゃんと資格を取って就職した。ここ数十年間はほとんど自分のためにお金を使っていないんだ!と言っていたけれど、「これからは自分のためにお金使うんだ😁」と笑いながら最近になって言い始めてる。やっと子供が自立しだしたのだ!!!
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なんとなんと大学を卒業したのに就職をすることなく、週7でバイトする未来は母も想像していなかったと思う。
それでも寛容な心で就職しないことに対して否定的な言葉は一切なかった。
ちなみにこの話はまだ母にできていない。でも母が死ぬまでに、本当はあの日「そりゃ父さんじゃろ」と言ったのを後悔していることを伝えたいし、これまでの数十年間本当にありがとうと言わなくちゃならない。
だから僕は必ず母をオーストラリアに連れて行かなくちゃならん。これは母の夢であり僕の夢でもある。
結婚式のスピーチって何話したらいいかわからんなってずっと思っていたけれど、この話はこういう時にするものなのかもしれませんね。
このnoteが母にばれませんように。
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今日も最後まで読んでくださりありがとうございます😁
今日は少し自分の家庭について書いてみました。多分誰にも言ったことのない話ですが、今日ふと言いたくなって、そうだnoteに書こうと思ったんです。
ではまた御機嫌よう
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