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期待する側、期待される側。どちらも大変なのだ
昨夜恋人と焼き鳥屋に行った。正確には串焼き居酒屋なのか。驚くほどつくね串が美味しくてたまらなかった。2人とも綺麗に酔っ払ってお互いのことを話し合う。
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その時に「期待しない」ができるようになってから随分と生きやすく、暮らしやすく、働きやすくなったね。という話をした。
これは僕ら2人ともなんとなくできるようになって、その結果、楽に生活してる。楽というのがどの程度かは人次第だけれど。期待しない人は冷めている人と思われやすく、実際にそんな人もいると思う。けどそうでなくて、期待はしないようにしてる。でもあなたのことを信用。もしくは信頼しているというのは本当なのだ!というは話もした。
期待しない
多分〇〇やってくれているだろうな。という期待が裏切られた時(相手は裏切ったつもりもないけど)、苛立ちを覚えたり、ショックを受けたりする。でもそれはおかしな話で、期待した自分が悪いのだと思う。以前まではそう思えなくて「なんでやってくれていないの?」「流石にそれはされると思っていなかった」などと怒りを露わにしたこともある。
例えば、この人は浮気を絶対にしない!と思っていたとする。でも浮気された。あなたは怒った。そりゃ愛している人に浮気をされると怒るのは当然だし浮気はあまり良くないことだと僕も思う。
でも必ず浮気をしない人なんていないし、必ず浮気をしないと期待していたのは自分だ。
いや少し極端過ぎた。
今から自分が休憩に行くとする。〇〇さんがこの間に仕事を終わらせてくれるだろうと期待していたけれど、休憩から帰ると丸々仕事が残されていた。ガッカリする。時たまに怒ってしまう。なんでやっていないの!?と。
しかしよく考えると、期待していたから仕事をやっていなかった時に怒りの感情が出てしまう。逆に期待していなければ仕事をやっていなかった時に「まあやってないよね。」で済むし、仕事が終わっていたら「うそ!やってくれてるの?ありがたい感謝感謝!」と嬉しくなる。期待しない方がマイナス面がほぼない。
でも「期待しない」のは結構難しい。だから家でも外でも仕事でも、期待しない練習をしていかなくちゃいけない。
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期待しない練習=しゃーない!と言えるか
期待されないのは辛い。どうせ〇〇も買って来れないんでしょ?とか言われるとムカッとする。お使いを頼むのなら心では無理だろうなと思っていたとしても、〇〇さん!お使いお願いできる?〇〇買ってきて欲しいんだけど?と言いたい。
こう書いていると、期待しない練習とはしゃーない!と言えるかどうかかもしれません。
しゃーない!しゃーない!と簡単に言えるくらい期待しなければ、それくらいテキトーに過ごすことができれば、ガッカリすることも怒ることも無くなる。
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期待される側も大変なのだ
期待しない側の意見をつらつらと並べていたけれど、期待される側も大変なんじゃないかなとふと思った。僕は期待されると「えへへ、頑張ります☺️」と嬉しく思い、頑張れるタイプ。だと思っている。
でも期待しているからね!の一言がストレスになり、プレッシャーになることだってあるかもしれません。
期待されている→完璧にできないといけない→できなけれければ怒られる→緊張する→できなかった→落胆させさせてしまう→以下繰り返し
こんなループに陥ってしまうと、上司と顔を合わせたくもないだろうし、仕事だって嫌になっちゃうのかも。
期待する側される側。どちらもが良い塩梅で良い塩加減で共存するのが1番かもしれません。今日は長々と書きました。また明日〜〜!!