見出し画像

みんなすごい。ただそれだけのこと。

なんかさ謎の自信があって、「珈琲いいかげん」はうまくいく気がしてる。うまくいくっていうのは、めちゃくちゃ稼ぐ店ってわけではなくて。多分そんなに売り上げいかないんですよね。生きていけるくらいには稼がなければいけないのだけれど。生きていける気はしてるし店はずっとバタバタできる気がしている。この自信はこうしてnoteに書くからで、お好み焼屋で珈琲を出させてもらえているから。たったそれだけ。珈琲屋で働いたことなんかありません。でも良いんです。というか良いと思ってます。昔の喫茶店を何軒か行ったことありますけど、みなさん独学で焙煎を学んで店を数十年続けられている。とにかくすごい。だから僕も独学で良いんじゃないかなって思って。笑

いつか書いていた前書きより。


こんな前書きを書いていた下書きがあったので、この後に今の気持ちを書いていこうと思う。僕のnoteはだいたい何も考えずに淡々と書いていくスタイルなので、その都度何を書いているか自分でもよくわかっていない。ぼーっとしている間に思いついたことなのか。読書中で書きたくなったことなのか。それすら微妙な感じ。でもそれでいい。僕はこのスタイルが1番よく合ってると思うから。

僕は1人では生きていけていない。それはこれからもそうだ。小さい時は家族が育ててくれ、大学を卒業してからも僕は1人で生きてはいない。いやきっと誰もが1人では生きていないはずだ。昨夜読んだ「君たちはどう生きるか」に出てきたのは、自分中心の世界。違ったかな。でもいいや。とにかく自分中心の世界から逸脱することで、皆に感謝し生かされていることだと気づける。本からはそう感じた。

誰かのおかげで自分は生かされている。が生きているのは自分自身で最後の決定も自分しかできない。いやむしろ僕らには決定をする権利が一人一人にあって、無意識のうちに決定を続けていると思っていて。僕は今日11:00頃に起き、恋人を送り、座って3時間マイクラをした。そろそろ出かけなきゃなーと思い、風呂は面倒くさいので髪だけ洗ってスタバに歩いて向かった。着く前から(今日はチャイティーラテ)と決めていたのでメニューには困らなかった。だがしかし朝から何も食べていないのでお腹が鳴る。フードメニューを除くと数が多い。多すぎて選べないなあと悩んだ挙句桃とアールグレイのケーキを食べた。これら全て僕が選んだことの連続なのだ。マイクラを5時間連続でやることもできたし、恋人と共に家を出てスタバに来ることもできた。ずっと寝ることもできた。でもそうしなかった。その選択を自分自身で選んだから。それは昔からそうで、内定を辞退したからこそ今の生活がある。就活に本気で取り組み会社に勤め4年目になる同級生も多数いる。みんなそれぞれ自分で選択したことなのだ。そしてそれらに優劣などない。これは本当にないと思う。誰が凡人なのかそうでないのか。そんなものはない。だんじてない。みんなえらい。働いてえらいし、ゲームしてえらい。遊んでいてえらいのだ。ただ人は比較をする癖があるからこそ、遊んでいる人を見て働けよと言いたくなる。給料が多い人を見ると自分がちっぽけに見える。でもそんなものに優劣なんかない。例えばダッセェと思っている仕事があるとする。底辺職ランキングがこの前あったけど例えばそこに載ってるやつとか。でもよく考えてみたら、そこのランキングに載っている人たちがいなければ、僕は今スタバで珈琲を飲むこともできず、クソ暑い中で生きていかなければいけないのだ。日本は全てが綺麗。道路にはゴミなんか落ちていないし、トイレはあちこちにある。全てが誰かの助けによって生まれたものだ。僕もここ数ヶ月は自分中心の世界で生きてきたように思う。でもそれは大きな間違いだった。僕が中心に生きられる世界なんてない。誰かに助けられ、助けてくれた人を笑顔にすることだけが僕にできることなんだって。そして僕は1の状態から自分で選択ができない。誰かに少しだけ力をもらい声をかけてもらいアドバイスをもらえた時初めて1歩を踏み出せるのだ。仕事ができるんじゃない。仕事をさせてもらっているから仕事ができているだけ。そして僕がその仕事をやることで誰かが喜んでくれるから僕はアルバイトを頑張れてこれたのだ。お金のため?海外に行く時はお金が必要だったからお金のために働いていたのかもしれない。夜勤をもりもりがんばっていた。でもやっぱり金だけじゃないのが僕の働き方なのだと思う。年末年始はホテルに泊まるお客さんが大爆発するから大事になる。夜勤の仕事は夜勤の時間に終わるわけないし、昼間の方々もバタバタ夜中まで仕事をする。それはおかしいことじゃない。みんなが頑張っているからお客さんが喜んで宿泊している。僕は間に合わないなら早く行った。もちろん出勤ボタンなんか押さずに。そこに金なんか必要なくて、みんなが助かるなら。笑顔になってもらえるなら。なんかおかしなやつだと思ってもらえるならそれが僕のやるべきことだから。むしろそれしかない。珈琲屋をやる。のでさえ仕事で悩んでいたり、生き方で困っている人がいたらこんな僕でよければ笑顔にしますよ。というみんなが笑顔になれるような珈琲屋を作るつもりだ。そこにお金なんか関係していない。僕はとても恵まれていて、就職をしなくても珈琲屋をやる夢を持っていてもそれを全力で止めてくる人はいない。家族も親友も恋人もみんなが応援してくれている。応援してくる人がいるから僕はやっていける。これからも僕の周りにいる人の不安を拭うことは難しいかもしれない。お金も生きていくので精一杯かもしれない。でも必ず笑顔で毎日生きられる環境だけは約束します。僕の周りにいる全員が生きていくのさえ不安で嫌だという世界にはいさせない。それだけは約束します。僕の珈琲屋の珈琲にフレーバーなんてものはないし、味なんて表現もない。記載もするつもりはない。珈琲いいかげんという名前には僕が1番得意とする「いいかげんさ」が前面に現れますようにという願いが込められている。僕自信いいかげんにできず、誰かに合わせてしまうことがある。それをとっぱらい、ふざけ倒す珈琲屋に全力で取り組もうと思う。

レジにおらず、「野球をしているので裏庭に来てください」というお知らせが置いてある。

そんな店にしたいなあ‼️

桃のケーキでも食べて頑張ろうよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?