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今日は汚染恐怖があっても為すべきことをなした日

8:00!!起床 ぼうっとする
8:20 今日はバナナとルイボスティーに豆乳
それから本を読んだり、洗濯を干したり、映画を観たりした
今日は『恋の罪』を観終わった
日本映画はあまり観ないので自分的には珍しいなと思った
腹痛と闘ったりした
13:20 お腹が空いているかちょっとはてなだったが
パスタを茹でて、最後の一つのセブンのボロネーゼをかけた
少し、ぼうっとしながら本を読んでいると
急激に眠くなってきた
私には珍しいことだった
14時半くらいから17時半くらいまでだろうか
まどろんだり眠ったり、夢をみていた
夢の中では、私はある家に住んでいて
その家は今住んでいる田舎の別の部屋を借りているのだ
不思議なことにその部屋は何度も出てきている
何度も何度も、夢に
かと思えば、実家にいたりして、東京の家を片付けなくてはいけないと思ったりした
今住んでいる部屋は全く出てこなくて、起きてから
あまりのリアリティに、アナザー世界の自分なのかなと思うほどで
頭がじんわりとした
じんわり痛いとも違う、熱いとも違う、じんわりとしか表現できない
とにかく、起き上がらないことには、どうにもならないので、身体を少しずつ起こして、自分が今いる部屋に思いを巡らせた
私はこの部屋に住んでる
あの部屋にはいないし、借りてない
脳ってすごいと思った
こんなふうに、ありはない世界と自分とその軸をまるであるかのように
私の脳なのに、私に見せたりして困惑させたりする
あまりにしっくりきて、あまりに現実味があったから
今借りている部屋のフローリングに触れても、なんとなくしっくりこなかったりした

正直にいうと、うつが酷いとき
都会の18m2の部屋に住んでいたとき
その部屋は狭いけれど、お手洗いが詰まることもなかったし
宅配ボックスはあったし、郵便配達のバイクの音は聞こえなかったし
24時間ゴミが捨てられたけれど、窓を開けると、隣接のマンションの窓があってものすごく閉塞感があった
その部屋に決めた理由は、マンションが建つ前はオフィスビルで
小さな喚起窓しか、私の部屋の窓に面してなかったからだ
一応、プライベートは保たれたわけだ
でも途中でその立派なビルは取り壊され、長い、騒音工事と共にマンションが建設された
それから決め手となっていた、窓も気づまりなものに変わった
そのマンションが建つまでのほんの短い期間は、窓からの景色は広がっていて青空と、雲と、遠くにビルと住宅が見れた
もっと遠くにはスカイツリーも見えた
たった数日だったその景色が忘れられない
そのときは内緒で大切な小鳥も一緒にいた
小さい手乗りの
彼女とその景色をみた
その後は一日家にいる彼女は騒音に悩まされただろう
かわいそうなことをした
本当に、本当に
鬱がひどいときはいつも夢をみた
私は実家あった田舎に帰省しているのだが、ふと、手乗りの彼女をどうしたのかということが頭をよぎる
私がここにいるということは、彼女のご飯やお水はどうなるのだろうか
小さい彼女はご飯やお水が一日でも尽きると死んでしまう
私はものすごい不安感に襲われ、慌てて、それでも遠く離れ
飛行機か新幹線でも3時間以上かかるそこに走り帰る
そのときの気持ち
その時の恐怖
いつも彼女はなんとか無事でいてくれるのだが
何度も何度も何度もその夢をみた
彼女はそのとき、老衰でなくなって1年経っていたのに

いなくなった手乗りの彼女を考えて、
天国にいったと知っているのに
私はいつも夢をみて、焦り、不安が募り、そうして走り帰るのだ
18m2の狭い部屋に
彼女と私だけの狭い部屋に

何度も何度も何度もみて、そうしてようやく見なくなった
その次に見たのはなくなった実家の夢だった
実家は取り壊されたらしい
取り壊されると聞いてから、時間がかなりあったし
それまでも色々事情があって、無人な時期もあった
手放さなければならない理由もあって
どうしようもなかったのだが
それでも、実家があるという夢を何度もみた
私の汚染恐怖はある家族へのもので
なので実家は、安心する場所であると同時にひどく不安定な場所であった
そこに帰るとき、いつしか捨てていい服と鞄で帰り
東京に戻るとすべて捨てて、すぐにシャワーを浴びる
そんな感じになっていた
でも実家というものは、私のなかで、揺るがなくなくならず
何かあったときに、どうしようもならなくなったときに
逃げ込める場所であったのだと思う
でも取り壊されてしまった
もうない
今でもその場所を見に行けない
耳にもしたくない
だから近づかない
それでも夢に見る
実家にいる夢
実家に帰る夢
そうして、やっぱりまだ実家はあるんだ
ここをなくしちゃいけないんだ!と思う夢をみるのだ

今はただもう見るだけで、朝になれば忘れるけれど
でもときどき見る

とにかく、午睡から目が覚めて
今日はお腹が痛い日であったが、かなり落ち着いていた
このまま去る職場の片づけを気にして日々を過ごすのは嫌だった
行くと決める、やると決めるまではものすごく気が重くて
どうにかなりそうだったけれど、やる、行くと決めたら
心が軽くなり、はやくやってしまいたかった
金曜日にそう決めて、寝るのが遅くなるから金曜はいかなかった
土曜か日曜がいいかと思ったが2日とも雨だった
今日はとても気持ち良い晴天だった
明日は雨の予報だった
今日、これから行くことにした
途中で少しばかりのお菓子も購入した
職場は正直にいうと、エアコンの風さえ汚染恐怖の対象で
行くのが本当に大変だった
でもビニールのレインコートを着ていった
変な目で見られたが仕方がない
田舎なので、いつか晴れでもレインコートの女、危険とTwitterなんかで出回るかもしれない
会社にいくと、だれもいないか、社長しかいないかと思ったが、そうでもなかったが、最後は社長と二人になった
出来る片付けはすべてやって出てきたと思う
最初、だれもいないときに行きたかった
レインコートを着ているところを見られるのも嫌だったし
汚染恐怖の症状が出ている(変な行動、レインコートの帽子もかぶっているとか)のを見られたくなかったのだ
でも、社長と最後に話せて挨拶が出来てよかったと心から思った
田舎なので、商業ビルも20時には閉まる
閉店3分前に駆け込み、閉まる館内放送を聴きながら
レインコートを脱ぎ棄て、そうして手を洗えた
それで家に帰り、21時半くらいまでいろいろ拭いた
レインコートを着ていても、いろいろ拭かなくてはならなくて疲れる
それがいやなのだ
でもやり遂げて、23時過ぎに夕ご飯
24時に日記
そんな感じの一日だった

私は4月から新しい仕事に就く
いつも仕事に就くときは、定年まで勤めあげると思う
今回、退職になった会社では特にそう思っていた
絶対に辞めないって
私はもういい大人なのに、欲しいなと思う
不必要なものが買えない
買おうと思えば買えるが、例えば、今JINSでエヴァのコラボ眼鏡の受注を受け付けているが、今の眼鏡が壊れているわけではないから買えない
それは人生において、計画とまではいかないが
流れがいつも予想出来ないからだ
勤めるとちゃんと貯金して、ちゃんといろいろやろうとする
正直、収入は良くなかったが、一度くらいはそのお給料でよく貯めたねなんていわれたこともあるし、海外旅行や国内旅行願望もない私は
日々、ちょこちょことした贅沢はしたいがまとまって数万使うなんてことはないのだ
ただ時折、JINSの眼鏡みたいに1万円ちょっとのものが欲しくなったりする
でも、貯めていたお金は鬱という病気で休職したり、仕事を辞めたり
引っ越したりすることで、自分で食い尽くしてしまった
何度貯めて、何度人生を立て直して、何度、周りのきちんと『資産形成』なんていっている友人にあわせよう、追いつこうとしても出来なくて
何度も、ずっとそれにとても苦しんだ
出来ない自分をだめだと思ったし、情けなく、恥ずかしく思っていた
そうしてとてつもなく焦ったりした
なんとか、どうにか、どうにか、どうにか、追いつきたい
まわりと同じでいたいと願った
落ち着きたい
人生を落ち着かせたいとずっと思って、焦燥感に駆られていた
今はそうは思わない
そう思う人とも離れた
離れてしまった
もうみんな、関東にいる
遠く離れた
ただ、今とちょっと先を安定させることを考えている
新しい仕事をずっと続けられるために
3か月がんばる
本当は6か月がんばりたい
それだけを願っている
そうして、それが続いたら
いつか私は、1万円の物を買うことがすっとできたり
計画が立てられるようになるかもしれない

いつかそうなることを祈っている
願っている

こんなにも、世の中やネットやSNSで、資産形成とか
いろんなことが普通にでている世の中にいても
私のような人間もいる

今はもう恥ずかしいとは思わない
ただ、続きますようにと願っている
良い意味で止まらずに
今日みたいに、やるべきことが出来て
楽しいことも出来て
負担がないけれど、まんねりにならなく外に出られるように

そう願っている

お力添えありがとうございます。