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歳をとるということ

 一般的に、大人と子供の差や年齢による差は、生きた年月の長さによって生じると考えられている。それはもちろん間違いではないだろうが、ここでは「生きた長さ」よりも「死までの長さ」によって人の考え方やあり方は変わるのではないか、という説を提唱したい。

 若いころに「革新(左翼)」だった人間が年をとると「保守(右翼)」化するということはよく言われている。これは相当雑な言い方ではあるが、少なくともこの逆のパターンよりは圧倒的にこっちのほうが多いだろう。

 これはなぜか。「革新」はつねにより新しく良いものを目指そうとする姿勢であり、「左翼」の場合はその終着点が資本主義の変更/破壊となる。「保守」はその言葉の通り現状を守りつつ必要に応じては少し改善をしていくということだろう。(これらの政治用語はあまりにも意味が散逸してしまっているので、結局具体的にはよくわからないというところはあるが)

 そうだとすると、「革新」「左翼」の方が現状に大きな変化を加える(加えようとする)ことになる。そして大きな変化には時間がかかる。そのため、若い時には遠い理想のために道を進むというビジョンにリアリティがあるのだが、もう自分の死が見えてくると、理想より先に自分が死んじゃうよということで、「革新」的なあり方にコミットできなくなるのではないだろうか。

 これは政治思想にかぎらず、たとえば何か組織を変革するとか、変化を伴うこと一般に当てはまると思う。

 人間の思考やあり方はそれまでの積み重ねの長さや量によって変わると考えられている。それは(もちろん)その通りなのだが、それだけではなく、「自分はあとどのくらい生きるのか」など、この先の<余白>によってもあり方は大きく変わってくるのではないだろうか。

 これはハイデガー的な語彙で言うと、「現存在には事実性・被投だけでなく、あるいはそれ以上に、将来性・企投が関係してくる」という風になるだろうか。

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