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心は軽やかに旅をする
大人になると見えなくなる景色がある。
懐かしくなってそこに行きたくて探してもどこにも見つからない。
でも時に思いもしない瞬間に迷い込むことがある。
綺麗な夕焼けだった。
ビルの間から見える金色の光に
ジムへ向かって漕いでいた自転車を土手沿いの道へ向かわせた。
土手に着くと夕焼けは思ったほど見えなかったがそのままサイクリングロードに沿って自転車を走らせる。
風は涼しくそよいで夏草をサワサワと渡っていく。
夏雲の名残が一面に広がる夏の終わりの黄昏。
夕焼けをあきらめて町へ下るつづれ織りの道を折り返す。
海側の空がやさしい茜色に照らされていた。
晩夏特有の少し淋しげな空の色。
多分こんな空は今日だけだ。
そう思ったら心が一瞬何かの扉をくぐり抜けた。
この日、この時でないとくぐれない扉。
坂を下りながら心は旅に出る。
土手から離れてもビルの隙間から夕映えが顔を覗かせる。
水銀灯が灯り始める。
夕空はだんだん水色に変わり空が透明に輝き出す。
いつの間にか自転車は商店街に入っていた。
銀河が地上に降りて来たように町が輝く。
水銀灯も商店の明かりも自転車のヘッドライトも買い物で行き交う人々も幻のように行き交う。
景色が広がる。
子供の頃遊び疲れて商店街を歩いて帰ったあの頃が僕を包む。
魚屋の裸電球、店先の蛍光灯、電柱の水銀灯。
そしてこの先には夏の終わりの澄んだ透明な薄暮の空。
あの頃と全く同じ世界などあるわけはない。
ただ心の心象風景と現実の景色が限りなく近づく瞬間に時として出会う。
その瞬間がとても愛おしい。
出会いたくてもなかなか出会えないその瞬間を文字でスケッチする。
思考も感情もすぐに捕まえないと消え去っていく。
鮮度は一分も持たない。
思考や感情は常に動きすぐに今を塗り替えて行く。
文字に出来ないときはせめて感じたことをそのままに心に焼きつけておくことしか出来ない。
そんな淋しい懐かしさにたゆたいながら自転車はジムのある大きな街へと近づいてゆく。
街の喧騒が大きくなるにつれ意識は時空の旅を終え
僕は無事に今現在に戻ってくる。