【深雪】と書いて、なんと読む?
普通は「しんせつ」と読むと思うけれど。
私はどうしても「しんせつ」と読めない。
なにせ、私の本名が「深雪」だから。
だから「深雪」と見ると、つい「みゆき」と読んでしまう。
小学校の同クラスに「深雪」は3人もいたから、
「深雪」は「みゆき」で定着してしまっている。
でもこの名前、学生時代にはなかなか便利だった。
よく学習塾から勧誘の電話が掛かってきていたけれど、
「あなたのお名前、なんて読むんですか?ふぶき?」
と聞かれて
「読めないんですね、失礼します」
と、今考えると本当に失礼な断り方をしていた。
でも、そんなにマイナーすぎるほどマイナーな名前では
ないと思うのだけれど。
「深雪」という名前は、母方の祖父が名付けてくれた。
母の実家は雪国にあり、冬は雪が深く深く積もる。
「深い雪。誰にも踏まれていない真白い雪のように
綺麗な心を持ってほしい」
そんな意味を持たせた名前。
真白い雪。
町中では雪はぐちゃぐちゃになってしまうけれど、
山では誰の足跡もない綺麗な、綺麗な雪が積もる。
実家は山間にあるので、毎年深い雪になる。
成長した私は、名前負けしていないだろうか。
更に祖父はこんなことを言っていた。
「ただの雪なら、春になれば溶ける。
でも深い雪は夏にも溶け切らず、万年雪になる」
だからひとつだけでも得意なことを作っておきなさい、と。
私の特技。
何があるだろう。
どれもこれも、冬に積もって、春には溶けてしまう。
そんな不確かなものがたくさんある。
真白い雪のような綺麗な心。
そうありたいと願い、そうありたいと努力してきたけれど、
実際のところ、名前負けしていると思う。
子供の頃は、いじめにあうことはしょっちゅうだったし、
クラスで一人で座っているのがすごく辛かった。
話しかけても無視されるしね。
クラス全員一致で「◯◯さん、いらないよ」と
面と向かって言われたこともある。
小学校から高校まで続いたかな。
担当の先生にまで、誤解されて突き飛ばされたし。
今思えば、先生に突き飛ばされたんなら、
午後の授業は家に帰っちゃって受けなければよかった、
とか考えるけど、
当時の私は、そこまで勇気がなかった。
そんな私だから「雪のような純白の心」は持っていない。
諦めるのに慣れていたし、
なら勉強で見返せばいいと思うこともなかった。
ただ、目立たないように、目立たないようにと気をつけて。
心の中なんて、どろどろだった。
今、そういう記憶が結構頭の表層に上がってきていて、
これらの記憶から学びだけ受け取って、
手放すときが来ているのかもしれない。
今の私の状況を見ると、そんな感じがする。
次のステップに、なんとしても上がらなきゃ、
という焦りがあるのを、なんとかしなくては。
再び、赤ちゃんのときのような「純白の心」を
目指して。
名前に負けないように。
今冬(2020~2021年)の日本海側は、ものすごい雪。
従兄も雪かきでへとへとになる、と言っていた。
様々な事故も起きている。
私が住んでいるところは、太平洋側なので、
雪は降っていない。
雨も降っていないから、乾燥している。
「誰にも踏まれていない雪のように綺麗な心に」
そんな祖父の思い。
大事にしていきたい。
そして今まで支えてくれた両親を、
今度は私が支えられるように。