フルタイムワーキングマザーが大学院しかも博士後期課程に進んだ理由
1. はじめに
この記事はずっと下書きになっていた記事を公開すべく、筆の遅い自分を焚きつけるため、@yumu19さん主催の 社会人学生Advent Calendar 2019 への参加に合わせて仕上げた記事です。(そして宣言した日に間に合っていない... すみません)
現在、デンマークのITUに研究で半年滞在中 です。デンマークネタ書きたいことがたくさんあるのですが、日々の忙しさにかまけて、なかなか更新できずにいます。コンスタントに記事アップできている人、本当に尊敬です!
(写真はコペンハーゲンの公園で娘と11月に参加した手作りランタン祭り)
2. 会社を辞めて大学院へ
2018年に14年勤めた某大企業を辞め、大学院生になりました。
退社したのは育児休業からフルタイムで復帰して1年半過ぎた頃のこと。最初は退社せずに両立できる道を模索していましたが、仕事・研究・家庭の3両立は私には無理だな、このまま突き進んだら生活が詰んで私も家族も崩壊するなと思い至り、時間調整が柔軟にできるフリーランスをしながら大学院生をするという選択をしました。
ここに至るまでには色々な葛藤と選択と行動の連続だったのですが、自分にとって何が大切で何が譲れない一線なのか、そもそも人生をどうしていきたいのかを真剣に考え直すタイミングだったのだなと思います。
ちょうど2回目の17歳、大人の思春期の時期だったのだと思います。(ほぼ日のこちらのコラムが元ネタです)
2018年後半からは、働く時間を週3と決めつつ、それ以外の時間を研究活動と家庭に割り振っています。今年2019年の9月からは、機会をいただき子連れでデンマークへ半年研究で滞在しており、デンマーク滞在中の現在は研究活動をメインにしつつ、日本からも少しお仕事を請けているという状態です。(すでに滞在予定の半分が経過、早すぎる!)
大学院生になってから早1年ですが、なぜ私が14年も愛着のあった会社を辞めて、しかも育児休業から復帰してこれからというタイミングで大学院への道を選んだのか、どうやってその決断に至ったのか、勝手に振り返りをしてみます。
3. なぜ転職ではなく進学か
大学院への進学を考え始めたのは育休から復帰して半年くらいでした。
私がもともと所属していた企業は写真や映像を撮影する精密機器(つまりカメラとかですね)を作っている製造業でした。そこでデザインリサーチ・UI/UXデザイン界隈の仕事を部署を移りつつ、育休期間を含めて14年やってきました。
個人的にはもともと写真が好きなこと(カメラではなく写真が好きです)、育休中には近所のカルチャーセンターでママ向けに写真講座を開催する機会に恵まれるなど、前職の事業範囲に関しては新卒で入社してからずっと魅力的に感じていましたし、退社した今でも魅力的に思っています。
デンマーク滞在中の今も、色々撮影しています。:-)
(9月にコペンハーゲンにあるスーパーキーレン(Superkilen)公園で娘と栗拾いした時の写真。デンマークの栗は日本のより見た目が大きく、そして食べられないそうですが、ハロウィンやクリスマスに向けての工作材料としてみんな拾っているようです。)
* 2019.12.23 追記
栗ではなく栃(トチノキ)という実だとご指摘頂きましたので訂正します。
ですので、他に行きたいと思える会社が当時はなく、そしてもし転職したとしても、私のスキルセットではマッチする会社に巡り会うのが難しいだろうし、力不足だろうなとも感じていました。
前職では、自身がデザイン制作を行うこともありましたが、デザイン実務よりも仕様をまとめて外部委託をディレクションすることが多かったのと、様々な部門が参加する打合せでファシリテーション役になったり、プロジェクトの方向性を整理し可視化する調整役になることが多かったです。
大企業あるあるかもしれませんが、30才を超えてもマネージャークラスではなく一般職でしたし、他の会社で求められているいわゆる「デザイナー」像、もしくは「ディレクター」像に自分はマッチしないだろうなとも感じていました。
また、後述する理由で最新のデザインツールや手法を学び直す時間が取れていなかったことも、転職ではなく学び直し、進学したいという気持ちを後押ししました。
そして、デザインプロセスを企業内で実践する上で、もう15年も前の大学時代に学んだ情報デザイン・ユーザーインターフェースデザインとそれを現場で実践する際のギャップや困難に直面することも多かったので、ビジネスがきちんと回り続けられるデザイン、ひいてはもっと広く社会課題や文化まで包括してクリエイティブな解決が世に提示できるデザインプロセスやその実践が行いやすい場作りに興味が移っていたことも、進学を選んだ理由です。
(今思えばスマホが登場する以前から情報デザイン・ユーザーインターフェースデザインを学べていたなんて相当最先端な環境だったなと、当時の大学の先生方の感性・先見の明に改めて凄みを感じます。)
実際、ありがたいことに在職中いくつかデザイン賞も受賞していますが、結果的にビジネスとして成功しなかったと感じる商品・サービスもあり、自分がデザインしたものがいつのまにか世の中から消えてしまうことに虚しさを感じることがありました。
4. 進学を決めるまでにとった行動
まずは何はともあれ情報収集です。
近年様々なデザイントレンドが海外から輸入されていたことも、昔の学生時代とは大きく潮流が異なっているなと感じていたので、自分で一次情報にあたって吸収したいという思いが強くなっていました。
海外進学を視野に入れながら、下記をしました。
4-1. デザイン海外留学の事例・経験者を探す
4-2. 子連れで留学した事例・経験者を探す
4-3. 社内留学の応募要項を確認する
4-4. 母校の恩師に相談する
4-1. デザイン海外留学の事例・経験者を探す
デザイン関係の留学説明会に、旦那さんに娘を預けてできるだけ参加しました。3件ほど行ったと思います。
その中で、興味が湧いた大学への留学経験者を、説明会経由や知り合いづてで探し出し、可能な限り直接お話させてもらいました。ここで相当色んな方にコンタクトをしました。10人くらいには話を聞いていると思います。(その節は本当にありがとうございました!)
色々なアドバイスをいただく中で
・社費留学
・自費留学(正規)
・自費留学(交換)
という選択肢が見えてきました。
どの方法で行くにしても、子どもが小学校に上がる前に、長期で連れ回せるタイミングで一緒に連れていきたいと思っていたので、次に考えないといけないのは、そもそも子連れ、しかも母子留学って可能なのかということでした。
4-2. 子連れで留学した事例・経験者を探す
育休中に、コンプレックスだった英語を伸ばすために短期ですがフィリピンへ親子2人での留学を経験していたので、大学院であっても子連れ留学は不可能ではないだろうと踏んでいました。が、ネットで情報を探すと、あくまで語学留学や子どもメインで親が子に帯同する親子留学のシチュエーションばかりです。
(2016年の育休中、フィリピンに親子留学した時の写真。私の語学力アップ目的で行きましたが、親子ともにかけがえのない経験になりました。この話は以前アップしていたブログが無くなってしまったので、また別の形でまとめ直したいです。)
また、奥さんとお子さんを帯同して旦那さんが大学院留学しているパターンにも多く出会いましたが、配偶者なしで親子で大学院留学したという経験者の方にはついぞ直接お会いすることができませんでした。
さらに探すと、大学院に母子で留学した方の事例を書籍を通じてようやく知ることができ、その書籍を読むことで具体的なスケジュールや準備しなければならないこと、心構えなどを俯瞰して把握することができました。
「子連れ留学」で検索すると意外と体験記がでてくるので、そのこと自体にも勇気を頂いたのですが、特にこの書籍には、似たような大企業勤務経験者であり、自費留学、しかも2人の子連れ、というかなりタフなシチュエーションをこなしていく様が克明に記録されており大変勇気を頂きました。
これで、不可能ではないだろうという「希望的観測」から、頑張ればできそうという「確実な未来」が見えてきました。
先駆者の方には本当に感謝しかないです。私もこうやって記録を残すことで、どなたかの後押しができればいいなと思います。
4-3. 社内留学の応募要項を確認する
お金のこと・仕事との両立を考えると、やはり社費留学が一番理想的です。当時、社内の留学制度では以下の条件があり、私の場合、当時で年齢はラストチャンス、TOEICは条件以下でした。
年齢:35才以下
英語力:TOEIC 700点以上(要相談)
要相談という言葉を信じて上司に相談してみたものの、もちろん他にも希望者はおり、また私より条件に適している・若い・身軽、と色々条件が揃えば、他の人が選ばれるのは必然でしたし、この時選考にすらあげてもらえなかったことが、逆に私のやる気に火をつけました。
この時点で自費留学の線しか残っていないので、退社が濃厚です。
そして育休中に行ったフィリピン親子留学以降、毎日最低5分と続けていた英語勉強を、この辺りから本当に気が狂ったようにやり始めます。移動時間・家事時間のほぼ全てを、片耳ワイヤレスイヤホンを相棒に、ながら英語勉強に費やし始めました。
(元の点数がかなり低かったのもあり、デンマークに来てからも未だ英語には苦労していますが、この時の頑張りがなかったら今デンマークには来れていないので、本当に英語は日々の継続が大事なのを痛感する日々です。もっと若い10代、20代のうちに頑張っておけばこんなに苦労はしなかったはずと昔の自分に喝を入れたいですが、若いうちは若いうちしかできなかった経験で忙しくて、それが今の自分を形作っているので結果オーライです!)
4-4. 母校の恩師に相談する
もう10年以上、アカデミックの世界から離れていたので、もうこれは信頼できる人に具体的な策を相談するしかない!と思って、思い切って母校の恩師に電話しました。
恩師に相談した内容としては、以下な感じです。
・過去のスキルを食い潰している状態が続き、もうほぼ食い尽くした
・学び直しをしないと今後自分のキャリアが伸びなさそう
・海外の一次情報から学ぶ必要性を感じているが●●大学は実際どうか
・交換留学が費用的にも期間的にも良さそう
・○○大学は●●大学とも提携しているが実際どうか
・大学に進学するタイミングで退社を検討中
実は私は修士を持っていません。なので、修士を取るため自費で大学に通うなら授業時間を考えると、仕事との両立はそもそも難しいと思っていたので、退社は免れないと思っていました。
そこで恩師からの驚きのアドバイスとしては
・会社を辞めるのはもったいなさすぎる
・会社を辞めずに進学できる道を探すべき
・博士なら決まった授業はないのでスケジュールは柔軟、退社しなくても進学可能、交換留学もできる
・長年社会人としての実践経験があり、さらに賞や特許も持っているなら、大学によっては修士相当という形で博士の受験が可能
・大学戻ってこれば?
!!!!!
私の自宅は川崎で、母校は函館にあるのですが、博士なら場所も関係ないとのこと。また、私が卒業した時から10年以上経ち、母校は海外との交流がかなり増えていて、まさかの母校に戻る選択肢が急浮上しました。
そして、世間、特にアカデミックな世界を知らなすぎた私は、博士というものがどういうものかも分からないまま、とりあえず新しい知識との出会い・学び直しを求めて、博士進学の道を決めたのでした。
5. いざ、受験!
受験を決めてからの行動は、自分でも驚くくらい早かったです。
・母校の博士後期課程の受験要項を確認
・試験内容&試験日を確認
・試験準備
・受験
...
・晴れて合格!!
これらをフルタイム仕事&家庭がある中、3ヶ月間くらいで駆け抜けました。9月入学で受験して合格発表は2月のことでした。
6. 改めて会社とどう両立するか?
次は、改めて会社とどう両立していくか?を考えなければなりませんでした。社内の博士取得者・現在進行形で博士後期課程に在籍している方を、これまた人づてで探し、ひたすら社内ランチにお誘いする日が続きました。
・どうやって会社と研究を両立した/しているのか
・研究内容と仕事はどれくらいリンクしているか
・学会や調査活動などで長期出張するとき有給なのか/出張扱いできたか
・研究活動で長期渡航があるとき一時的に休業などしたか/できたか
結果的に、社内の方は2種類のパターンに分けられて
・仕事の都合上、博士進学が必要で上司から進められて進学した方
・自分の好奇心で、仕事とは関係なく進学した方
私は間違いなく後者のパターンでした。そして、後者の方は皆さん自分の仕事とリンクさせることが機密の関係で難しく、本当に本当に苦労されていました。また皆さん有給でやりくりされていて、一部例外で出張扱いで海外に長期研究渡航できていた方もいたのですが、監査対応で公私を明確に分けることが徹底されるようになっていた近況では、私的進学の私が、たとえ渡航費のみ大学からなど費用面で会社に負担がかからなかったとしても、出張扱いで研究活動を行うことはもう絶望的に難しく、有給が尽きたら終わりだなと思わされる状況でした。
私の場合、研究内容は仕事とかなり密接にリンクしていたのですが、単純に自分の勝手な危機感と好奇心からの進学です。会社から見れば、勝手に進学を決めた人であることは間違いありません。
このくらいで、上司に向けて
・進学を考えていること
・実はもう合格していて入学時期は決まっていること
・どう仕事に活かしたいか/連携させたいと思っているか
など説明する資料を作り始め、両立が可能か相談し始めます。でも結局それって会社からすると「研究と両立したい = 仕事を減らしてくれ」っていうお願いになるのですよね。ただでさえ忙しい職場、調整は困難です。しかも私の場合、プライベートはほぼ育児で埋まっている状況でしたから、独身の方以上に研究が仕事を圧迫するのは目に見えています。なんて無謀。。。
子どもが大きくなって育児が落ち着いてからでもいいんじゃない?というアドバイスも頂いたのですが、個人的には子どもが小学校に上がってしまうと更に身動きが取れなくなると思っていたのと、研究活動には可能な範囲で子どもを連れて行きたいと思っていたので、ひとり勝手に焦っていました。
そして、もう大学には受かっているので、入学時期は決定しています。
別部門の部長にも親身に相談に乗ってもらい、本当に色々な方に相談に乗ってもらいましたが、明確な解決策が持てないまま、そして両立する覚悟が持てないまま、時間が過ぎていき焦り始めます。
やっぱり両立なんて無理なんじゃない?
そんな想いが頭を掠めて、諦めモードが強くなっていました。
同時期に、社内のキャリア相談室にも、大学進学で休業が可能かを相談しに行きますが、私的都合の進学での休業は認められていないとの回答をもらい、八方塞がり。
今思えばもっと別の立ち回り方があったのかもしれないのですが、博士進学でも結局両立は難しそう、休業も無理そう。更に 7. で後述する問題にも直面していて、精神的にかなり参っていた私は、これ以上の説得や相談、新たな道の開拓をできる気力がなくなっていました。
7. 育休から復帰して遭遇した諸問題
実は進学を考える前にも一度転職を検討したことがあるので、会社に不満がなかったと言えば嘘になりますが、前職の方達は本当にいい人ばかりで、実際退職直前まで親身に相談に乗ってくださる方ばかりでした。退社した今感じるのは、あんなに紳士的に穏やかに仕事できる環境って本当に恵まれているなということでした。とにかく人間関係は最高でした。
ですので、育休復帰直後はまたバリバリ働くぞと思って復帰したのですが、前述の通り復帰から半年経つ頃には、下記の問題もあり会社環境外での学び直しを強く考えるようになりました。
どれも産休前からくすぶっていた問題でしたが、子どもができたことで一気に自分の中でレッドカードレベルに表面化しました。
7-1. 外部の情報にアクセスしにくい
7-2. 旦那さんと生活時間が全く合わない
7-3. 仕事時間・場所の柔軟性が低い
7-1. 外部の情報にアクセスしにくい
以前から、セキュリティが強固な企業と認識していましたが、育休復帰時に感じたのは「閲覧制限されているサイトの数が、育休前より相当数増えている」ということでした。
ただでさえ情報感度が命のデザイナー、更に美大出身デザイナーが圧倒的に多かった前職で、理系出身デザイナーだった自分にとって、
・社内からアクセスできるサイトが制限されている
・最新技術やツールをすぐに試せない・触れられない
という社内環境は精神的にかなりきついものがありました。
社内からアクセスできるサイトを制限している理由には、情報漏洩を防ぐ、ウィルスやマルウェアなどの感染を防ぐ、業務と直接関係のないサイトを社員が閲覧し業務時間を浪費するのを防ぐ、など理由は様々あるのだと重々理解はしています。
具体的な例だと、私の退社時にはこの note にアクセスできませんでしたので、自身のスマホで話題の note を読んでいたのは切ない思い出です。
それでも以前だったら自宅やプライベートの時間で補えていたのですが、プライベートの時間でそれを補うのが難しくなっていたことも、もともと育休で遅れをとっていた自分にとって更に世の中についていけなくなる、という強烈な焦りになりました。
下記が、当時の平均的な平日の生活サイクルです。
6:00:起床・家族が寝てるうちに家を出る
(通勤 30分)* 朝の子ども支度&保育園送りは旦那さん担当
8:00:出勤・仕事スタート
8:30-10:00:打ち合わせA
10:00-12:00:打ち合わせB
12:00-13:00:昼休み(夕飯のレシピ検討、買い物注文、子ども関連の事務処理で終わること多々)
13:00-15:00:打ち合わせC
15:00-16:30:作業
16:30:退社
(通勤 + 保育園までの移動)
17:30:子どもお迎え
18:00-22:00:怒涛の夕飯・風呂・寝かしつけサバイバル
24:00:旦那さん帰宅(私と娘はだいたい寝た後)
夜、子どもを早く寝かしつけてひとり時間確保!と思っていた時期が私にもありましたが、うちの娘は寝つきが悪く、更に保育園では2時間がっつり昼寝してくるので、夜は本当に寝てくれません。
絵本読むのに1,2時間とかザラですし、娘より先に私が撃沈することも多々でした。(今でもですが)
昼休みや通勤時間も、生活用品や食材のためのネットショッピングや子ども関係の事務処理で潰れることが多かったので、業務中に直接関連するスキルや情報をアップデートしたいと感じた時に、それらに社内からアクセスできない場合は、既存の古くて効率の悪い知識やスキルで対応せざるを得ないことが多くなりました。
7-2. 旦那さんと生活時間が全く合わない
上記のような生活サイクルでしたから、育休復帰後は同じ屋根の下に住んでいるはずの旦那さんと平日顔を合わせることが全くといっていいほどなく、平日のコミュニケーションはLINEを通じて文字のみとなることが多々でした。もちろん、旦那さんの仕事が落ち着いた時は早く帰ってきてくれますが、基本忙しい。(けど子煩悩なので土日はたくさん遊んでくれます)
一緒に住んでいるのに、朝ごはんも夜ごはんも、家族全員で食べられない。
このすれ違い生活が、子どもがある程度大きくなるまで続くのか、と思うと、ちょっと発狂しそうでした。なんのために働いているんだろう?と。
7-3. 仕事時間・場所の柔軟性が低い
私の場合もともと働くことは好きだったので、働く時間はフルタイムでも問題なかったのですが、仕事時間や仕事場所の柔軟性のなさが、7-1. と 7-2. の問題を更に悪化させているように思いました。
フレックスなし、勤務時間固定(保育園お迎えの関係でシフト勤務にしていましたが)、在宅不可、メールは会社でしか読めないというワークスタイルでしたので、基本毎日会社に決まった時間に出社する必要がありました。
旦那さんの協力で短時間勤務にはせずに働けそうだったので、フルタイムで復帰しましたし、宿泊を伴う出張などもこなしましたが、出張や外出の際、社内の情報に外部からアクセスできる環境がないため、メールチェックなどができません。単純に移動時間が仕事時間を圧迫することになるので、外出もできるだけ避けるようになりました。余計に情報が遮断されていき、家と会社と保育園の往復という毎日。
働き方改革のおかげで残業制限がかなり厳しく、そういった意味では社員のライフステージや子どもの有無に関わらず同じ時間勝負で働けるというのはかなり平等な職場でしたが(おそらく日本でも屈指の平等さなのではないでしょうか!)、自分でコントロールができない時間や場所の制約と、世の中に更に遅れをとってしまうという危機感に、日々げっそりしていく自分がいました。
半休や時間休などの制度は充実していて、それは大変ありがたかったのですが、私の場合、それは根本的な問題解決やニーズを満たすものにはなっていなかったようです。
8. そしてフリーランスと大学と家庭の3両立へ
ということで、在職中は上司を含め、皆さんとても親身に相談に乗っていただいたのですが、最終的にはネガティブな理由から会社と大学の両立を諦めることになってしまいました。
現在はフリーランスと大学の両立という不安定な形での社会人大学生となり、しかも収入は減っているくせに仕事と研究を合わせると働く時間は実質以前より増えていますが、家族と過ごせる時間は圧倒的に増えました。
そして曜日感覚が薄れるくらい、仕事と研究と家庭がグラデーションで溶けている状態ですが、乾いたスポンジが水を吸収するかのごとく毎日が刺激的で、自分が行ってみたい、やってみたい、聞いてみたい、と感じるままに計画をたて、時には自分の仕事と絡めながら研究を進めていける醍醐味は、今まで経験したことがない面白さとやり甲斐に繋がっています。
計画を立てることの苦手な自分が博士なんて!と自分の不甲斐なさに凹んでばかり、おそらく周りの研究者の方から見ると、こんなこともしてないの・知らないの、の連続で、研究者としては本当に赤ちゃんレベルですが、いばら道の開拓を楽しんでいる次第です。
いざ書いてみると、自分のことながら、ここに辿りつくまでの過程が本当に長くて遠回りで不器用で、そして博士号が欲しくて進学した訳ではない葛藤がそのままダラダラ書かれた記事になっていて、お見苦しいことこの上ないのですが、こんな社会人学生もいるんだなーと思って頂ければ幸いです。
9. デンマークでは学び直しが当たり前!
日本では社会人の学び直しはあまりまだ一般的ではないですが、現在滞在しているデンマークでは社会人になってからも改めて大学や専門学校へ勉強をしにいく学び直しがごく当たり前のこととして受け入れられています。
高校から大学に進学する前にもギャップイヤーを設けて、数年自分探しをしながら進路を決めるのが一般的だそうです。
日本で当たり前と無意識に植えつけられていた常識に縛られることなく、世界を見る機会を頂けたことは、自分にとっても、今一緒にデンマークにいる娘にとっても、今後間違いなく財産になるなという実感があります。
(デンマーク・オーフスのオールドタウン(Den Gamle By)での一コマ)
そんなわけで、#デンマーク 滞在中の気づきや研究ネタ(#参加型デザイン #共創 #サービスデザイン 関連)、子連れ留学珍道中について、引き続き書いていこうと思っていますので興味のある方は是非フォローをお願いします! :-) サポートしてもらえるのも、とっても嬉しいです!
帰国は3月の予定なので、それ以降イベントやお話する機会などがあれば、積極的に参加したいと思っているので、こんな私に興味を持って頂ける方がいましたら是非 @koeriまでご連絡ください!
以上