#2 「学ぶ」ということ
こども達の生きるチカラを育む「算数教室コドリーム」で日々こども達と関わっていると、様々な問いをこども達から貰います。
その問いは、すぐに答えられるようなものから、答えが分からない…という私にとっての難問まで様々です。
その様々な問いの中で一番出てくるけど、これだ!という答えが見つからなかった一つについて書きたいと思います。その問いとは、ズバリ…
「なぜ学ぶのか?」
おおー、出ました。超難問。
こどもの学習を見ているともうほぼ毎日といっていいほどこども達から問われるこの質問。もちろん、こどもから「なぜ学ぶのか?」なんて直接聞かれることはありません。
私がこの問いに直面する時はこんな時です。例えば、答えを写すごまかし勉強をしている子がいた時、その日取り組む算数プリントを高頻度で忘れて来る子がいた時、勉強したくなくてなかなか学習室に入らない子がいた時などです。
みんなが色んな言動で「勉強イヤイヤー!」と訴えかけて来た時、私はいつも「なぜ学ぶのか?」と問いかけられている気がします。
こども達からの「勉強イヤイヤー!」を受け取ると、私は頭の中では「勉強しないといけないのなんてわかってるよ!でも、なんで勉強しないといけないの?教えてよ!誰も教えてくれないじゃん!」というメッセージに変換されます。自分で納得していないことって主体的になんてできない、こどもだけでなく大半の人がそうだと思います。
みんな、勉強はしないといけないことだとは重々承知。けど、なぜしないといけないかなんて知らない!納得してない!とごまかし勉強や忘れ物等、色んな行動、態度、言葉で表現しているような気がしています。
「学ぶ」ということ
では、「なぜ学ぶのか」の問いに対して、私が自分なりの真理を答えられていたかというと、コドリームを始めた当初の私はこどもと一緒に「なんで勉強しないといけないんだろうね?」と悩んだり、「将来のために、、大人になった時にね、、」となんとなくそれっぽいことを言ってみたり、「そこまで勉強嫌いなら、しなくていいんじゃない?」と情けないことにこどもより先に降参の旗を振ったりと、全然答えられていませんでした。
そんな日々が半年ほど続いたある日、「なぜ学ぶのか」の答えはこれかもしれない、、!というものに出会いました。
フィリピンの奨学生の作文
コドリームを運営しているNPO法人アクションは、フィリピンのこども達を支援している団体なので、私はコドリーム以外にも様々な業務をしているのですが、その中の一つの奨学金支援の業務をしていた時のこと。
支援者の方に提出する奨学生が書いた作文の中に「学んだことは、誰からも奪われない人生の財産となります。」という一文を見つけ、うおおおおおおおーと。学ぶ理由ってこれだとすごくスッキリしました。
コドリームを始めて半年間、「なぜ学ぶのか」の答えが出なかったけれど、フィリピンの17歳のカルロータが答えを教えてくれました。
お金や地位や時間は奪われてしまうことがあるけど、身に付けた知識や技術、経験は誰からも奪われない。人生の豊かさって、奪われないものをどれだけ身に付けているかなのかもしれないと、その時思いました。
こどもからの問いに真正面から答える
こどもから何気なく問われる様々な質問。その場でそれっぽいことを答えたり、後回しにしたり、はぐらかしてしまうこともありますが、こども達は大人のそういう心の内をズバッと見抜く嗅覚が抜群に優れているので、こどもからの問いは自分の真理に辿り着くまでしっかりと考えて、真正面から答えられるようになりたいなと思います。
あなたの人生が豊かになるように心から願っている。そのための学びなんだよと。
コドリームを運営していなかったら考えもしなかった「なぜ学ぶのか」。こどもと関わっていると、私がこども達に成長させてもらっているな、かたじけない!と思うことが沢山。本当に、有難い仕事をさせてもらっています。
コドリーム
長田