コラム“Pediatrics Note”と小児科医
こんにちは。小児科医のcodomodocです。神経疾患、神経発達症、心身症などの診療をしています。最近はマルトリートメント(不適切な養育)な環境から発達性トラウマ障害をきたした子ども達への医療的な関わりについて勉強をしています。
うちの病院の院内報に毎月書いているコラム“Pediatrics Note”です(800字前後)。診療をしていて感じる、とりとめもないことを書いています。
今回は2024年の11月号です。
昔々、「ハタラ・キカタの改革」が起こる遥か昔、あるところに小児科医の男がおりました。男は大きな病院に勤務し、月に一度、電車で 3 時間かけて別の病院へ当直に行きました。
働き者の男は、そこで初日の夕方から翌日の昼まで寝る間を惜しんで働きました。次第に疲れ果てた男は、当直に向かう電車の中で「このままどこか遠くへ行きたいな」と思うようになりましたが、それは叶いませんでした。
駅に着くと、男の身体は急に重くなり、病院行きのタクシーを呼ぶことができず、代わりに駅前のアーケード商店街をあてもなく彷徨い、最後は駅前のカフェチェーン店に立ち寄りました。
そこは豊富なサンドイッチメニューが売りの店でしたが、食欲のない男は苦いコーヒーだけをすすり、決まって数回えづくのでした。湧き出る涙を拭いながら、男はドナドナになり荷馬車に乗って病院に向かいました。病院に着くと、諦めた男はまた働き者に戻りました。今でも男はそのチェーン店に入ることができないということです。
これは知らないうちに僕の記憶に刻み込まれたフィクションの物語ですが、なぜか僕は彼に強いシンパシーを感じてしまいます。
さて、学校に行く前になると頭痛や腹痛、吐き気を訴える子どもたちがいます。周りの人には「学校が嫌なだけだろう」と取り合ってもらえず、頑張り続けた末に登校できなくなり、病院を受診する子もいます。子どもたちの話を聴きながら、彼らの感覚に思いを馳せた時、あの男の物語が記憶の底から甦ってきたのです。
学校や家庭でつらい出来事が続くと、子どもたちは頑張って乗り切ろうとします。それでもうまくいかないと、次第に疲れ果て、些細なことで腹が立ったり、逃げ出したくなったりしますが、学校に着けば諦めて普段の自分として頑張ってしまいます。そんな日々が続き、とうとう身体が悲鳴を上げた結果が、頭痛や腹痛、吐き気です。
男は、当直がせめて朝で終わりなら、夜に少しでも寝かせてもらえたら、当直が2ヶ月に1回なら、と思っていましたが口には出せず、誰も気づいてくれませんでした。
私たちは子どもの身体の不調は事の始まりではなく、ピークに達した結果だと気づかなければなりません。そして、できることは一つ。「休む」ことです。
その後、あの男がどうなったのか。今となっては知るすべもありません。