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リメンバー・中村哲医師

中村医師によれば、ずっと守ってきた一つのガイドラインは、その地域の文化や宗教について、良い悪いということで裁かないということだという。中村医師は、現地に社会改革に行ってるのではなく、人々の命をいかにして守るかということに苦心してきたと述べる。

中村医師の医療支援は、医療に留まらない。たとえば、病院内にサンダルの工房を開き、大量のサンダルを提供したりした。足の裏に傷ができ、悪化するのを防ぐためである。病気を治療するよりも、予防のほうが安くすみ、その人の社会生活に与えるダメージが少ないという大きなメリットがあった。

さらに、アフガニスタンを襲った大干ばつに対しては、国際的な関心が薄い中、医療では多くの人の命を救えないことを痛感して、1600本の井戸を掘り、25キロ以上に及ぶ用水路を拓き、砂漠化が進んだ広大な大地を緑化し、アフガニスタン難民の帰還に大きく貢献した。

お金がない、食べものもないという人たちに、中村医師は、用水路の開拓で雇用を創出し、さらにその周辺一帯で農業で生計を立てることを可能にした。短期的な支援も必要だが、中村医師のように、廃村を復活させるような中長期的な支援計画も不可決である。

人道支援機関は、中村医師のメソッドから、学べることがあるのではないか。とりわけ、用水路の建設が、今後何世代も先を見すえた上での着眼点であったこと、さらに、「現地に合った技術」を探しながら、日本の最新技術ではなく、江戸時代の技術を参考にした点は、注目を要する。

現在では、中村医師の意志を継いで、2万3800haの沃野が65万人の命を支えているという。

<参考文献>中村哲『わたしは「セロ弾きのゴーシュ」』/佐高信・高世仁『中村哲という希望』

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