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一人称小説

※この記事は勢いのまま脳直ノー推敲で書いています。ていうか私のnoteは基本そうなんですけど今回は特にその勢いを第一にして振り返らず書いています。実験です。

一人称小説、苦手です。読む分にはです。私は熟練した読み手ではないので、小説で「私」(或いはあたし、僕、俺)と言われてしまうとそれはもう読んでいる私か作者かでしかなくなってしまうわけです。作者だと思うならまだしも、いやそれも良くないんですけども、まだしも、「私」が私になってしまうと考えのズレに尻が落ち着かんようになってしまうんですね。
ちゃうわ、だれやこの女、となってしまう。だれやって小説の登場人物だよ……って感じなんですけど。あとこういう時にエセ関西弁を使っていい加減な事を言ってますので勘弁な、という態度を取るのは逃げだと思います。良くない。でもやってしまうね。

という感じで読む上でつっかかりやすい一人称小説なのですが、書いてみるとこれがもう書きやすい。文芸誌購読してると新人賞の受賞作品を読む機会が増えるんですが、ほとんど一人称小説じゃないです?やっぱり書きやすいからなんですかね。なんというかこう、内面をさらけ出していきまっせという感じ、あえて作者と登場人物の差を曖昧にしていく感じ、そういうのがありますよね。あ、またこの人エセ関西弁を使いましたよ。やめた方が良い。言葉に不誠実である。はい。

創作文芸だと私は三人称小説で群像劇的なものが好きなのでそういうのを書いています。あと二次創作でも基本は三人称なんですよね。キャラの一人称にすると解釈の差が無視できない程に目についたりするので、三人称である程度距離をとって書いた方があとからあの頃の私と解釈違いなので埋まりたいけど手頃な土地が無い、ということに悩まなくて良いので。
ただ今ハマってる作品のキャラがどう考えても一人称で悶々とさせた方がいいな、というキャラなので最近ずっと一人称小説を書いていたんですね。頻繁に過去の記憶のフラッシュバックを起こしたり、話題がそれたり、幻覚を見たりする(という解釈にしているので)(なぜならその方が私のヘキに刺さるからです)三人称視点だと書きにくいんですよね。
そしたらまあ楽しいこと楽しいこと。文章自体にリズムも生まれるし、こりゃ書きやすいわと思ったのでした。
ただ私の憧れはあくまで高橋たか子先生の、三人称一元視点で頑なに登場人物名を氏名表記で突き離して書きつつもめちゃくちゃじっとり湿っぽくて重い、という文章なので、これからも基本はそっちで書きたいかなと思います。

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