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役人、NPOで働く②〜役所でしか働いたことのない社会人8年目から見えた、NPOの世界〜

阿久津です。新卒から7年半働いてきた文部科学省を離れ、昨年10月から3月まで研修という形でみんなのコードで働いていました。

今日は、第1弾の記事で予告した通り、「役人がNPOで働いてみて何を思ったの?」ということを書いていきたいと思います。

※この記事はみんなのコードコーポレートサイトからの転載です。


仲間だ!

みんなのコードで働き始めて、最初の数日でまず思ったことです。

「社会課題を解決したいという意志や執着心、青くさい議論に照れないポジティブさ

「一緒だ!仲間だ!一緒に働きたい!」

社内の打合せの場だけでなく、高校の授業を支援しにいった帰り道や、日常の会話の中でついつい

「校長先生の理解が得にくい他の学校だったらどうだろう。そういうところでやる気ある先生を支援するには?」

「子どもたちが自由に創作へ熱中できる居場所は、やっぱり機会格差のある過疎地でこそ充実させたい。」

「とはいえ都市部でも家庭環境によっては・・・みんなのコードがまず取り組むべきは・・・」

と、みんなのコードでは、自然と社会課題を解決するための会話が始まります。教員、エンジニア、営業、コンサル、ICT支援員、芸術家、など別の経験や顔があるメンバーが、思いを共有して集まっているからこそ、他のメンバーの発想や知見から学ぶことも、「わかるー!」と共感して思いを強めることも、多々ありました。

実はこの感覚、私が先輩行政官に感じた気持ちでもありました。何年も文科省で働く中で、多少しんどいことがあっても「頑張ろう」と私の気持ちを繋ぎ止めているのは、社会に向き合う意志であり、ポジティブさであり、ともに真摯に議論できる同僚の存在なのです。

サブだ!

みんなのコードで働くうちに気付いたことがあります。それは・・・

「1日の中で、事業や政策の内容自体(霞が関用語でいう「サブ」)を検討する時間の割合が文科省での1日よりも高いな。」

ということです。サブの検討は、重要でやりがいのある仕事です。もちろん行政官にとっても。ではなぜ行政官の1日には、サブの検討ではなく、サブを実現するための段取り(霞が関用語でいう「ロジ」)や関係各所との調整に当てる時間も多いのか。

みんなのコードと文科省の違いはなにか。

あくまで私なりの理解ですが、違いを生む背景として、

  • NPO:団体の取組み案に納得してくれる人の協力を得て実現する

    • 例:賛同してくれた企業からの協賛金を使って、みんなのコードの支援を求めてくれた学校の授業を、みんなのコードが支援する

  • 省庁:省庁の取組み案に納得していない人や無関心な人も含めて協力を得て実現する

    • 例:消費税として集めた予算の一部を使って、所得が低い家庭の学生に給付型奨学金を支給する

ということがあるのではないかと思います。

役人はなぜ「ロジ」や「調整」に時間を費やしているのか?

一方、全員が諸手を挙げて賛成できる施策は、なかなか存在しません。
例えば私は、「日本政府として初めて、低所得世帯の学生向けに、給付型の返さなくていい奨学金をつくる」という仕事に携わりました。一見賛同が多く得られそうな案件です。しかし、「絶対に必要な施策だから早く実現させるべきだ」という声を多数聞く一方で、「進学せずに就職を選んだ同世代との間で不公平ではないか」などと懸念する声を耳にすることもありました。

だからこそ、行政においては、施策案を公平・公正な過程・条件で検討し、民主的な手続きによって実現し、関わる誰に対しても説明責任を果たさなければなりません。そのため、より多角的な視点での議論や準備、関係各所との合意形成が必要となります。その上で、施策の対象とする範囲を合理的に説明できる基準で定め、その範囲の相手には漏れなく施策が届くような設計にしなければなりません。

給付型奨学金の例でいえば、下記のフローが発生します。

  • 多数の関係者から意見を聞く機会の日程を調整する

  • 有識者等の意見を踏まえ、以下のような論点を判断する

    • どういう条件を満たしている学生に奨学金を給付するか

    • 高校時代の成績を要件にするべきか

    • 浪人してから大学へ進学した学生も対象に入れるべきか

    • 大学進学後に全然勉強しない学生にはどう対応すべきか

  • 施策が実現した場合の影響を試算する

  • 海外の導入事例を調査する

  • 財政当局の理解を図る

  • 生活福祉資金などの、他の経済的支援制度との関係で齟齬がないか確認する

  • 高校関係者へ説明する機会や人員、そのための予算を手配する

と、書き出せばキリがないですが、要するに、一つ一つの工程には、必要とされる理由が存在します。そして、立案から実現までに掛かる工程を積み上げれば、膨大な手間が掛かっているので、サブを検討する時間の割合が相対的に下がる、ということです。

NPOか、行政か

ここまで考えて、「じゃあサブの議論に沢山関われるNPOの方が楽しくて、断然いいじゃないか!」と私が思ったかというと、実はそうでもありませんでした。

自分でも、意外に感じました。

ある程度、効果が立証できないと動きにくい行政に対し、意義があることをまず小さくやってみることが得意なNPO

既存事業の継続よりも、新たなイチを生むことに、体力を使おうという発想が得意なNPO。それに対して、価値が実証されつつあることを仕組みに取り込んで、継続したり社会に広めたりすることが得意な行政

つまり、すごく近接した領域の中で、NPOと行政は異なる「得意」を持っていて、どちらが優れているということでもないのだと思います。
組織レベルでいえば、いかに絶妙に役割分担するか。間に落ちてしまうボールを減らせるか。個人レベルでいえば、どちらの特徴により価値を感じて、自分の時間を投じたいか

その中でも、みんなのコードは「誰もがテクノロジーを創造的に楽しむ国にする」というビジョンを掲げて活動していて、自らイチを生み出しながら、それを仕組みに取り込み、社会に広めようとしています。これは、いかに壮大なことを成そうとしているか、実際にみんなのコードで半年間働いて、改めて実感させられました。

私個人でいうと、より良いものを生み出すことも、もちろん好きですが、最悪な判断を回避することに価値を感じる性分なもので、今のところ行政の仕事に自分の時間を割きたいと思っています。

しかし、「一緒だ!仲間だ!一緒に働きたい!」と思った方々が、NPOを選んだ気持ちにも共感できますし、キャリアを積む中で、相互に行き来したくなる人もいるだろうと思います。また、そうした行き来が、今後の社会の発展には必要だと思っています。

みんなのコードでの研修が終わりかけた時に、ふと、入省後すぐの研修で、講師役の先輩行政官が、東日本大震災の復興に携わった経験を踏まえて「これからの行政ではNPOとの連携が大事だ」と言っていたことを思い出しました。実は、入省後すぐの私には、この言葉の意味が分かりませんでした。

研修を経たことで、先輩の言葉を理解することができ、腹落ちして自分の言葉で言えるようになるまで何年もかかりました。数ヶ月前までの自分のように、まだ腹落ちしていない同僚や後輩がいるだろうと思うと、連携の必要性を私自身の仕事ぶりに反映するだけでなく、早く同僚たちに語り尽くさねばという思いに駆られます。

私は4月に文科省に戻ったのですが、入省した時に先輩行政官から言われた「これからの行政ではNPOとの連携が大事だ」という言葉を、今度は私が伝えていく番であると強く感じています。


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