![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/78716658/rectangle_large_type_2_a8c5879e6fe06a50168497422e68fb12.jpeg?width=1200)
Photo by
mikitanishi3
謝罪の功罪
会社実績の一部として、過去受託開発した際の資料を転用した経緯で秘密保持契約違反の疑いあり、呼び出される場面があるそうな。
契約書には開示する際の相手方事前承諾記載を確認。ただその代償というか損害賠償の記載はなくて、もし呼び出された協議で折り合いつかず争う姿勢になった場合は今回の開示程度は先方の換算により提示されるだろう。
という立前は分かるのですが、本質はおそらくそこではない気がします。
要は「謝って欲しい」のでは?
先方は過去開発の経緯や著作権の範囲、釈明を聞きたい訳ではなく、一言心からの詫びがあれば済むのに、いちいち説明してしまう事に苛立ち額面通りの振る舞いにならざるおえなくなる。
ここは日本、謝罪したら負けのアメリカではない。
こと、自分は悪いことしてない(または多少の過失はあってもそこまで言われたくないプライド?)と自身が思っていたら、今回のケースのようになってしまいがち。
日常の社会生活においても同じだろう。
ポイントは自分は正しいと思い込むマインドにある。世の中「正解」はないとする本質的立ち位置を見失っては物事はやりにくく新たな発展や可能性を閉ざしてしまいます。