ただソコに「長くいる」だけ。
何かをするわけでもないのだけど、どのような場所(または年月を重ねる意味)でも「長くいる」となぜか信用がなんとなく芽生え、関係性が生まれる場面を多く見受ける気がする。
分かりやすいのは家族だけど、友達でも、仕事でも同じではないだろうか。
ゲームやweb上(このnoteも同じかな)の世界ではオンライン、オフラインな世界では定期的な路上ライブや、Barなどの常連さんとか、
知らない人だけど、ソコに「いる」だけで、なんとなく関係あるような無いような、親近感バイアスにかかる妙なライン。
生産性!効率!とか、声高な今の世の中において、極めて”非生産的”な、ただソコに長くいる。というヒトっぽい関係性ってとても大切な事だと考えつつ、発信することも必要だよなーとも考えていたら、、、
そっか、
SNSはまさに「ソコ」にいて、かつ「発信」するツールだと改めて思い知る。
真の共感は(他人なのだから、相手の気持ちや物理的な痛みなど分かるわけ)ないのだけど、「なぜソコにいるのだろう」と興味を持ってもらえるなら意味はあると信じたい。
たとえば、この文章をぼーっと、ソコ(底)にいて考えていたら仕事のキッカケが降って来た、という話(笑)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?