人間は自由の刑に処せられている
エアコンの温度を上げ下げするのは自由。
だけれども他人がいれば同意を得る必要もありそう。
憲法にある精神的自由権、経済的自由権、身体的自由権があるから、今、こうやって記事も書くことが出来て、好きな時に食べて、好きな場所で生きていられる。
望めば行動できる比較的生活環境が整った楽な状況では、わざわざその環境を脱し、変えてまで生きようとするのは難儀だし、面倒くさいし、そんな時間ないし、責任が伴う。
自己責任を回避して行くと思考停止し、考えなくなると、誰かに決められたルールの中で台本通りに演じる人生を送ることに。
演技の解釈で表現を変えるレベルではなく、台本そのものを疑い変えるチカラは、その他の台本を知っておくことも必要かなと考えます。
つまり、今、そこにある選択は自分が思うよりも多く存在していることを自覚することから始まるのでしょうね。
さて、涼しくなってきたのでエアコンではなく、窓を開けよう。