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Photo by
mitsuki_haruta
記憶に埋め尽くされた誰かの忙しい日々を買う。
なぜ、人は投資をするのだろう。
投資と言っても、お金やモノだけでなく自己投資も含めて様々。
将来を期待したり、経済的自由への一歩だったり、
つまりは「時間」を買うことなのかも。
「時間」を買うと自分の認識で進んでる”今”を加速させる。
でもそれは時に誰かの「時間」を奪っていることになりうるだろうか。
「時間」を奪われている人は目の前にある時計やカレンダーなど
自分視点の”今”を過去の記憶から流れるようなイメージすることで、
”今”が重なり合っていることに気づいてないかもしれない。
そもそも記憶が無ければ、
未来のための時計やカレンダーは不要なのだけど、
この断片的な記憶機能は失敗を繰り返さない為だけのモノではなく、
記憶を埋めることで忙しくしてる日々に消費されている可能性もある。
投資は誰かのこの消費されてる時間が買われてるってことなのかしら。