映画「ナイブズアウト」続けて「グラスオニオン」どうしても“答え”を犯人探しにリコメンドされる習性。
絶賛自宅療養中ですが、持て余す時間、映画を観てます。動画配信サイトでは事前情報なくリコメンドされるタイトルから何気にナイブズアウトを選んで見ちゃいました。
続けて続編も直ぐに観ると世界観と臨場感も継続するので楽しめたのですが、ミステリーの構成上、どうしても犯人探しが楽しみのメインストリームになります。
探偵役の主人公目線でいながら俯瞰した第三者として参加する感覚は普段の日常生活においてもホントは必要なことなんですよね。
自分が主人公の立ち位置視点からは逃れられない中ではあらゆる事情カテゴライズされたリコメンドから外れる感覚を持ちたいわけです。
例えば、「朝、目覚める」その後の思考リコメンドは、今何時?天気は?朝ごはんは?仕事はいつどこ何する?ような日常。
それを、
身体が動くことの確認、深呼吸・大気が正常でありそう、今日も一日生きてる。今目覚めた人はどれくらいいるだろう。この瞬間生死を彷徨う人も動物もいるだろうか。と少し広く捉える感覚です。
同じ目覚めた時間というカテゴリでは自己リコメンドの幅が狭過ぎるんですが、広く考える余裕時間が“ない”というのがほとんどではないでしょうか。
ナイブズアウトの中で、被害者と加害者とヒロインは、実は同じ思考であったが為に悲劇というのか喜劇になった事件に映ります。
つまり、事象(本作の場合は事件)による自己リコメンド機能の幅が広く、かつ、論理思考がしっかりしていると、犯人探しとは異なる視点でも楽しめるようになる可能性がある。ということですかねー。
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