【LIVE】2020/2/25 光村龍哉
2月25日、私は光村龍哉さんのライヴを急遽観ることになった。NICO Touches the Wallsがバンド活動の終了を発表し3ヶ月半。現在の光村さんがフラットに音楽を楽しめているという事実は、お店のドアを開けると吸い込まれるように耳に入ってきたその歌声からすぐにわかった。
この日は、路上ライヴのパートナーであるギタリスト けいちゃんと、もう一人「光村好みのベースを弾く」という28歳のベーシスト しんちゃんも呼んでのライヴ。そして、光村さんひとりで歌ったり、けいちゃん、しんちゃん、それぞれ二人と歌ったり。三人でも歌ったり。演奏曲したのはThe Beatles、Eric Clapton 、Earth, Wind & Fire、小坂 忠、サザンオールスターズ、荒井由実などカバー曲が中心。お客さんのリクエストに応えてaikoの「カブトムシ」を1番だけ歌っていてバンドの曲は「梨の花」と「anytime,anywhere」。
全国津々浦々、アコースティックギター一本抱え歌いに出掛ける、という今のさすらいの生活を、光村さんは「しばらく続ける」と話していた。これは、年明け早々、突然あらわれた新浦安駅前でも話していたのか、同じような内容のツイートを私はたまたま読んだ。そのときは正直呆れていた。「そんなの、夢物語すぎるよ」と。ただ、直接本人の口から聞くと、フランクな口調の中にも、彼なりに何かを取り戻そうとしている意志が見える。私は、少し悲しい気持ちになった。
ネガティブな感情が溢れそうになっても、無理やり心の内側に押し込める。せっかくの機会だもの、とにかくライヴを楽しもう。だって、渇望していたのだから。私は、彼の歌をずっと聴きたかった。
1時間弱の演奏時間は、思いのほかあっという間に過ぎていった。友人に場所を教えてもらうと走って向かい、帰りも少し慌ただしくて、ほっと一息つけたのは自宅に着いたとき。そして、実感する。私が見ていたのは、NICO Touches the Walls の光村龍哉ではなかった。趣味のいい音楽センスを持つ、歌がとんでもなくうまい青年 光村龍哉。ひとり背負っていた荷を下ろしたことで、開放的になれたのだろう。私の目には、仲間とともに心から音楽を楽しんでいる姿が、強く印象に残っている。
しかし、今まで何度もNICO Touches the Wallsのフロントマンとしてステージに立ち、戦うように歌う姿を見てきた立場からすると、その事実が切なかったし、辛かった。
正直な話をする。私は「アプリを使ってファンに路上ライブの場所を通知する」という、リスナーを振り回すようなやり方が好きじゃない。バンドの曲を歌うタイミングだって、もうちょっと考えるべきだと思う。だから、バンドの活動終了から2ヶ月も経ってないのに、突然(しかも路上で)歌い始めた事実と行動の早さに、私の心は全く追いつかなかった。週末を迎えるたびに、Twitterのタイムラインに流れるようになった路上ライヴの映像も、見たり見れなかったりめちゃくちゃだった。
でも、私はもう何も言わない。いや言えない。何が正解で何が不正解なのかは、誰にもわからないことだから。過去と今のギャップを感じているのは、リスナーだけではないのだから。バンドを終わらせたということは、彼の人生のど真ん中にある大きな柱がなくなったこと。終わり決めた当事者のひとりとは言え、胸に抱えた喪失感は、リスナーである私以上に深いはずだから。
私には3人の面影が見えていた。隣で鳴るギターソロから。歌声に重なるコーラスから。それを支えるベースラインから。どうしても3人が見えてしまう…。でも、そっか。バンドの終わりは、メンバーそれぞれが新たな道を歩みだしたときに、ようやく実感するものなんだね。そして、現実的な変化と私の中にある違和感を少しずつ受け取め、認め、受け入れていくものなんだ。
3人と離れた光村さんは、今、ひとりでやり直そうとしている。しかし、そのやり方には賛否両論あって、私は(実際に見に行ったのに矛盾しているけれど)あまり好きじゃない。でも、今の光村さんの姿を自分の目で見て、聴き馴染みのある歌声を自分の耳で聴いたことで、「音楽をやめないでいてくれて、よかった」と、心の底から実感できたこと。それが真実なのだと思う。