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あの頃はきっと、痛みが私を突き動かしてたんだ。




まず初めに、noteの更新が全然出来ていなくてごめんなさい。
東京から離れることになりました、からやっと引っ越しもひと段落して描ける時間が出来ました。
暗い中、私の部屋だけ灯りがついてるからなのか虫が窓にぶつかってきたり、初日にはイモリが張り付いていたり、こっちはアブラゼミよりもツクツクボウシが多いんだなとか。
東京の暑さとは違う、涼しい暑さで。
引っ越し前は起きてすぐに冷房をつけていたのに、こっちではむしろ少し寒いくらい。
あれだけアスファルトに囲まれた、特殊な街だもんなあ。
樹々の少ないところではどこにも熱が逃げられず頭の上の雲に染みついていくしかないのだなということを痛感しました。
そしてあの独特な息苦しさはやっぱり、"東京の悲鳴"なんじゃないかとも思う。
『東京の人は冷たい』なんて言うけど、東京の悲鳴に取り憑かれていく人が多いだけなんじゃないかな、なんて思いました。
でもなんでそう言われるのかもここ数日で地域の人たちを見ているとなんとなくわかった気がします。
もちろん、そうじゃない魅力が東京には沢山あるから人も集まってくるのだと思うけど、自分が肌で感じていた違和感の正体がだんだんと見えてきました。
引っ越す前によく言われた『田舎には何もないよ』も、私には充分なくらい"在る"と感じれるので、ちょうどいいなと思います。早く海外にも旅に出てみたいなあ。



心の温かさを感じたり、自然と今あるものに目を向けることができたり、義務感を薄められるようになったのは、自分の中の暗い過去にあるコンプレックスがあるからだと思う。
それで沢山苦しんだ、苦しんでいるけど、それがあるから今がある。
何もかも都合よく用意されると自分が弱っていくのを感じた。
"在るに越したことはない"という感覚を捨てようと思った。
人が衰えるのは、どこか満足してしまった時だと思う。
一歩外を出れば肩に力が入る、そんな気を張る生活よりも自分の身体や大切な人を守れるのならそれだけでいい。
きっとずっと私の根本はそうだった。
私が欲しかったのは、ただ"創る"に没頭できる環境。
自分のことはそれ以外、疎かになっていい。
でもこのままじゃダメだって、自分を認めることができなくて、長いこと自分を否定し続けてきた。
世間と感覚の違う自分をなんとかして認めて貰いたかった。
あの頃はきっと、痛みが私を突き動かしてたんだ。


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裸足が好きです

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