幸せ恐怖症という言葉を知った。
欲しがることができないのは私の性格であることを知っている。目の前に転がり放り出された手にしたいものに手を伸ばせないのはそうしちゃダメだと言っている自分がいるからで、それが何故なのかは誰にもわからなかった。理屈はわかっている。でもこれは自分で開けた穴を自分で埋めるしかないものだと気付きながらもどうすればいいのかわからなくて立ち尽くしているから、"わからない"としてしまうのだった。
泥だらけになって、埋めて、渇いて、崩れないように馴染ませて、あたかも最初から穴なんてなかったかのようにしてしまおうか。
不確かなものを置いて気持ちがいいとする逃げと置かないようにする逃げは全然意味が違う。どちらがいい悪いかの問題ではなくて自分が何を"良し"としていて何が"許せないか"だ。
そうやって自分の芯を脅かすものから離れればいい。
離れない、そう決めてたはずでもすぐに揺らいでしまうほど、どうやっても不安定な気持ちの中にいる。
誰かを心から愛せないってとっても苦しい。
本気で自分と向き合ってくれた人を傷つけてしまう自分はなんて心底最低なやつだとがっかりした。
幸せ恐怖症という言葉を知った。
幸せ恐怖症とは、幸せになることに対して強い恐怖や抵抗を感じる心理を言います。
幸せ恐怖症の人は、恋愛や仕事上の成功など、本来なら喜ぶべき状況をみずから手放そうとしてしまう特徴があります。
これは、はたから見ると意味不明な行動に思われるでしょう。
しかし、幸せ恐怖症人の場合、当の本人ですらなぜそんな気持ちになるのか理解できていない場合がほとんどです。
表面上は幸せを望みながらも、潜在意識ではそれを恐れている…そんな複雑な心理状態にあるのが幸せ恐怖症の人なのです。
はっとした。まさにこれなのかもしれないと。
前から自己肯定感が低いことはnoteに何度も描いているけどここにまでまた紐付くのかと。
手に取ることができないのは自分の弱さで、いわゆるチャンスを掴める人は強い人、というとざっくりしすぎているけど運の強さとかって、魂の厚みだと思っている。どんどん広げていくことで受け取るキャパもできて視界がクリアになっていき冷静に判断できるようになって、今だ!というときに掴めるのだと。そこまでわかっていてもそうできないのは何故なのだろうと悩んでいた。そんなときに幸せ恐怖症という言葉を見つけた。
自分でも無自覚であるほどに一度心にできた傷というのはこれまでに影響があって簡単に消えてはくれないものなのだなあと。そう"知る"だけでも踏み出せている、そう感じれるようにはなっているし、その傷に対して後悔もない。むしろ傷口が私の原動力になってくれている。そして言葉や想いを繋いでくれている。自分を強くさせてくれるもの。綺麗事のように聞こえてしまうだろうけど感謝でもある。
だけど問題なのは人にどう理解してもらうか、だった。『はたからみると意味不明』まさにこれだった。
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