A NICE CUP OF TEA
今日はあんまりにも暑くて天気が良かったので、タピオカを買って帰った。
そのカップに「A NICE CUP OF TEA」と書いてあって、「たしかに〜」と味わいつつ、思い出したことをいくつか。
10年近く前、片想いを拗らせて「言いたいことがうまく伝わらない、全部伝えたいのに相手が聞いてくれない」と嘆くはた迷惑な私に、当時同じ大学にいた有佐さんが、「全部ぶつけるんじゃなくて、おいしいコーヒーを淹れたらどうか」と言ってくれた。
「どういうこと?」と思ったしそのまま尋ねると、「自分の内面を全部さらけ出してぶつけるんじゃなくて、相手が飲める形、飲みたいなと思う形にして差し出してみる方が伝わるんじゃないかなあ」と言われた。「自分の美味しくない部分をわざわざ飲ませる必要もないしね?」とも。
有佐さんの助言も虚しくオーバーヒートした私の恋は、しっかり自滅した。
20歳でも思春期、恋した相手とまともなコミュニケーションを取るなんて夢のまた夢だった。
独りよがりの私にはうまく理解できなかったその言葉は、長い時間が経った今も心に残っている。
たまに友達にも話す。
「本音でぶつかり合う」なんて、言葉ほど単純ではないよな、と歳をとった今なら少しわかる。
そういう時の「本音」には、服を着てちゃんとしていたかったのに無理やり裸にさせられたような屈辱が含まれると思う。
なんで見せたくもない相手に裸を見せなくちゃいけないのか。
見たくもない相手の裸を見て感想を述べなきゃならんのか。
そこには根本的な約束、信頼、コミュニケーションが欠如している。
「危害を加えないよ」とか、「合意の上でお互い裸になったよ」とか、「これからこういうことをしようと思うよ」とか、そういう前提がないまま「裸になれば伝わる」と思ってるところが幼くて傲慢だよなと思うし、そのままあの時の私だ。
当たり前のことだけど、服を着てても本音は聞ける。
私が心から愛する作品の一つである「スター・トレックDS9」というドラマシリーズ、その中の第67話「姿なき連合艦隊(後編)」にこんな一幕がある。
DS9は大長編なので、登場人物たちの関係はとても複雑ですが、詳細は省きます。
優秀なスパイだったガラックは、失策により故郷を追われ、元は自国の植民地だったが、レジスタンス活動により独立したDS9という宇宙ステーションに身を寄せていた。
そこで様々な異星人たちと交流する中で、友情をはぐくむようになり、秘密と裏切りばかりのスパイ活動に疑問を持つようになった。
そこへ、かつての仲間がやって来て、「友人のオドーを拷問にかけて敵国に関する情報を聞き出せ、そうすれば故郷に返り咲ける」と告げる。
ガラックは苦悩するが、結局オドーを拷問にかけてしまう。
オドーは知っていることを全て話すが、ガラックは満足しない。
オドーの様子を見て「何か隠していることがあるはずだ」と追及し、拷問に苦しむオドーを見ながら「嘘でもいい、何か言ってくれ」と懇願する。
オドーは「帰りたい」とつぶやく。
「これが終わればすぐにでも帰してやるさ」というガラックに、「そうじゃない、故郷に帰りたいんだ。DS9の仲間にも、誰にも言えなかった。どんなに否定しても、頭では敵だとわかっていても無理だった。故郷に帰りたい、同胞に会いたい…」とオドーは繰り返す。
結局オドーが隠していたのは国家機密などではなく、自分でも否定したかった故郷への思慕だったのだ。
情報を得ることもできず、友人を踏みにじった事実だけを手にして、ガラックは途方に暮れる。
オドーが隠していた気持ちと言うのは、いわゆる「本音」なのだろうか。
もちろん帰りたい気持ちは本当だろうし、知られたくなかった事実であることは間違いない。
だけどオドーがそれまで言わなかったこと、知られたくないと思ったこともまた事実だ。
なぜ言わなかったのか?
それは、そんなことを言えばDS9の仲間が傷つくし、今の信頼関係が壊れてしまうと思ったからだ。
オドーはいつだって公平で、仲間思いで、誠実だった。
その誠実さで、精いっぱいDS9の仲間を愛している。
だから隠していた。たとえ拷問にかけられても、言いたくなかった。
「言わない」という行動に、オドーの愛がある。
ガラックはオドーの友人で、それが痛いほどわかったから途方にくれたのだ。
10年前、私が欲しくて欲しくてたまらなかった相手の「本音」。
きっとあの時の私は何を言われても納得しなかっただろうし、相手もそれがわかってたから何も言えなかったんだろうな。
私は言わなくていいようなことたくさん言って、気持ちは全然満たされなかった。
そのうえ人を傷つけた。
自分がいかに幼く暴力的だったのか、今ならわかるのに、もうすべて取り返しのつかない過去です。
あれからというもの、おいしいコーヒーの淹れ方を模索しているものの、まだまだうまくできないことの方が多い。
でも、相手にコーヒー豆ぶちまけるようなことをせずに済んでる分、多少はマシになっている。と思いたい。
過去の経験は苦いけれど、飲める形にすることが大事だ。
人生が長ければ、尚更。
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