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釜ヶ崎芸術大学 校歌への道のり


作曲家ののむらまことさんは場の空気をどんどん変えてゆく

ヤヤヤーヨヨヨーヤヤヤーヨヨヨー
ウイーウイー ビアンス
「ロシア、きょう」
それは うなぎさ
うさぎじゃないよ かえるだよ
釜釜釜ベイビー
釜釜釜ベイビー
カマンベールってなあに?
まあだだよ、っておまえが言った
下克上 下克上 下克上
井戸にどぼん

Yayaya Yoyoyo Yayaya Yoyoyo
Oui, oui, bien sûr
Roshia Kyo
Sorewa Unagisa Usagi jya naiyo Kaeru dayo
KamaKamaKama baby
KamaKamaKama baby
Kamanberu tte Naani?
Maadadayotte Omaega Itta
Gekokujyo Gekokujyo Gekokujyo
Ido ni DOBON

からだをひらくと、こころも動く

2021年、コロナ下。
当時は「集まろう」なんて言えない雰囲気だったし、ステイホームが提唱されていた。釜芸に関わるココルームスタッフ、サポートメンバーのかまぷ〜たちにも基礎疾患を持つ人や家庭の事情などで感染するリスクは避けたいというメンバーももちろんいる。だから、感染対策をしながら、自分の人生を生きるために何をするのか、どうするのかを考え、話し合って、できる工夫をすることにした。打ち合わせも実際の講座もオンラインを併用した。

なにかを「絶対」にするのではなく、柔軟な考え方を持つようにして、のらりくらりと朗らかに働き暮らしていた。
「不要不急の芸術活動の停止」に対して、釜芸は独自のベクトルを持っていた。それはコロナの前年に井戸掘りに取り組んだことも下地となっていたと思う。(詳しくは「釜芸、井戸を掘る」(托口出版)参照。)
ココルームにとって芸術活動は業務であり仕事ではあるのだけど、自らが朗らかに生きるための小さな自治への方策でもあった。

⚫︎釜芸の校歌づくりのチーム
コロナ下で、旗となるような釜芸の校歌をつくろうというアイデアが生まれた。
歌詞の部分は詩の講座でわたしが担当し、曲についてのワークショップは野村誠さんにお願いする。

30年以上前、わたしが詩の朗読と即興音楽とのセッションをはじめて行ったのは野村誠さんである。その後も野村誠さんと実験的なアートな企みごとでご一緒してきた。釜芸の楽曲のほとんどはこの組み合わせで作られていて、ともかくヘンテコな歌ばかり。校歌では倉品淳子さんも加わった。
 
倉品淳子さんは東京在住の俳優。コロナ下の間、公演の延期や中止が重なり、何度かココルームに短期滞在し、「人材募集オ!ペラ?」にも協力いただいた。淳子さんはココルームの仕事体験をしながら、ジョギングや縄跳び、庭で発声練習を続けていて、俳優としての体力作りを怠ることはなかった。発声練習はあめんぼあかいな、もあれば、謡もあり、庭に響きわたる淳子さんの声を聞いて植物たちが真似するんじゃないかと思ったものだ。
 
思えば、3人とも一途である。
人生を0歳からやり直すことになっても、たぶんこんな人生になるような気がする。コロナ下に釜芸に足を運んだ人たちもそうかもしれない。




その日、オンラインの参加一名とそこに集まった人たちとでも詩をつくり、小芝居をしていたら、時間がなくなってきて、あわてて曲づくりに向かった。参加者が順に歌詞をくちずさむ。野村さんがそれを採譜し、曲として形づくってゆく。

オンライン参加した人の目の前にあった本が「ロシアの〜〜」だったことから「ロシアきょう」という歌詞が入った。
「か・ま・げ・い」を行頭にして歌詞をつくろう、となって、下剋上が気に入って3回繰り返してみたり。
メロディでは淳子さんの謡みたいな感じをいれたい、とか。
それからしばらくしてウクライナへの侵攻が始まる。
ゆく川の流れのように、世界は変わり続ける。
庭の植物たちは風に揺られて、謡のような風情を醸すこともある。

のびて、のびて、息を吐いて

その日、遅れた列車に飛び乗ったように釜ヶ崎芸術大学校歌は完成し、いまも歌い継がれている。

偶然、「ゲストハウスとカフェと庭 釜ヶ崎芸術大学」で校歌をいっしょにどうぞ、と声をかけられることもあるだろう。

釜芸ヘルメットとおもちゃ楽器が手渡されたら、歌って踊ってみてください。

列車に乗ってどこへでも行けそうな、なんだか元気のでる歌なんです。

上田假奈代(詩人)

楽譜は釜芸のHPから


現在、ココルームはピンチに直面しています。ゲストハウスとカフェのふりをして、であいと表現の場を開いてきましたが、活動の経営基盤の宿泊業はほぼキャンセル。カフェのお客さんもぐんと減って95%の減収です。こえとことばとこころの部屋を開きつづけたい。お気持ち、サポートをお願いしています