[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝#57 馳浩
今回は参議院議員として活躍する一方、プロレスラーとしても、グッドコンディションをキープしていり馳浩選手のご紹介です。
1984年のロサンゼルスオリンピック代表という実績の下、鳴り物入りで1985年に大学の先輩でもある長州力のジャパンプロレスに入団します。
若手時代、ミスター・ヒトさんのブッキングでカナダ・カルガリー地区(スチュ・ハート主宰のスタンピード・レスリング)に武者修行のため遠征していたことがあり、新倉史祐さんと組み「ベトコン・エクスプレス」として活動していた(当時のリングネームは「ベトコン・エクスプレス2号」)。当時のライバルはオーエン・ハートでした。
1987年のジャパンプロレスの面々が新日本マットに登場した際に日本デビュー。日本デビュー戦は小林邦昭のIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦し、勝利します。
バラエティー色を強くした『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』にスタジオゲストで出演した際、司会の山田邦子が流血したレスラーの様子を見て「血ってすぐ止まるものなんですか?」と聞いたとき、馳が「止まるわけないだろ、つまんない話 聞くなよ。」と質問に対し突然激怒し、これに端を発した因縁が取り沙汰されます。
1990年6月、後藤達俊とのシングルマッチでバックドロップを受け、試合後に一時心肺停止状態となります。
清和会国会議員兼全日本プロレス所属のプロレスラーであり、プロレス興行には主に国会のない期間に参加していたが、政治で大臣政務官や副大臣など、徐々に要職につき始めるとその機会が減っていき、2005年9月11日の衆議院選挙の当選(3選)と同時にプロレスラーとしての現役引退を表明(理由として靱帯断裂もある)しています。
現役引退後も、2017年7月26日に後楽園ホールで行われたプロレスリング・マスターズのメインの6人タッグに出場し11年ぶりにリング復帰を果たす。藤波辰爾、長州力とタッグを組み、グレート・ムタ、ザ・グレート・カブキ、TNTと対戦し勝利を収めています。
プロレスからの引退発表こそしたが、総理大臣としてSPを連れてリングに上がるのが夢だと話しています。
そして、2021年1月4日に後楽園ホールで行われたプロレスリング・ノア「New sunrise2021」のメインの6人タッグに出場し1年4か月ぶりにリング復帰を果たす。潮崎豪、清宮海斗とタッグを組み、武藤敬司、丸藤正道、田中将斗と対戦し勝利を収めました。
この際、解説席にいた山田邦子さんとグータッチを交わし、34年にわたる因縁に終止符を打ったのでした。