![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/44944392/rectangle_large_type_2_4776bb09e3d8ac723f4934d4d8e493c3.jpg?width=1200)
[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝#59 ディック東郷
今回はEVIL選手のパレハとして新日本に再登場したディック東郷選手のお話です。
ディック東郷選手はもともとSATOというリングネームでマスクマンとして活動しておりました
しかしスペルデルフィン選手との覆面剥ぎデスマッチで敗北を喫します
その後も髪の毛とマスクをかけた試合でやはりデルフィン選手にも負けまして丸坊主になります
しかしながら海援隊DXという形でユニットを組みましてみちのくプロレスを席巻して行きますと、今度はディック東郷選手の方が手デルフィン軍団をほぼ壊滅状態に追い込みます
その後ディック東郷選手は WWF に渡りましてカイエンタイとして大いに大暴れを致します
ですがWWF とのそりが合わずに退団をいたしまして、その後はデルフィン選手がいた大阪プロレスに入団をいたします
大阪プロレスを退団した後、再びみちのくプロレスに参戦するなどをしてルード軍のファーイーストコネクションを結成したりする一方で、プロレスラー養成所であるスーパークルーを設立するなどして、後進の指導にもあたっておりました
この時の卒業生の中には現在 DDT で活躍している佐々木大輔選手であるとか松永充弘戦士であるとかあるいは今のプロレスリングノアで活躍している覇王選手などがいます
ディック東郷選手は生涯一ヒールということで活動していますが、どこの団体に上がることになっても基本この線は崩しておりません
先ほどお話した通り、ディック東郷さんはマスクマンSATOとして活動していた時代がありました。
もともと東郷選手はユニバーサルプロレスリングでデビューした若手選手でした
最初は素顔で巌鉄魁という名前でデビューをいたしまして、秋田県出身ということもありましてなまはげの格好で出てくるキャラクターだったんですけれども、SATOになってから、ファイトファイトスタイル自体は特に変わってはいなかったんですけれども、やはりマスクマンになるということは非常に派手な印象がありました
ですから若手時代からずいぶん立派になったなあという印象がありました
さてこのユニバーサルプロレスリングなんですが、SATO選手が登場した1992年頃にはすでに経営が傾いておりました。
ですのでSATO選手の凱旋帰国シリーズで実はギャラが出ていなかったということが判明を致します
そしてこの1シリーズを持ってSATO選手は再びメキシコ遠征に出かけてしまいます
最後になりますが、東郷選手はレスラーを育てる手腕にも長けておりますし、マネジメントにも長けております。
また WWF での体験もありますのでエンターテイメントの知識も体験も豊富であります。
ですからもう少し新日本は東郷選手をうまく使ってほしいなあと心から思っています。
いいなと思ったら応援しよう!
![プロレス観戦記書き | せかぷろ | プロレス“ザ・モンスター”ハラダ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/6025525/profile_42519551e1da7c706d73a0eb92433821.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)