[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝#71 ミル・マスカラス
今回は仮面貴族・ミル・マスカラス選手のお話です。
マスカラス選手は、1971年2月、日本プロレスの『ダイナミック・ビッグ・シリーズ』に初来日します。
1973年10月からは全日本プロレスに参戦しまして、1977年8月25日に、田園コロシアムでのジャンボ鶴田さんの、UNヘビー級王座に挑戦した試合は、プロレス大賞の年間最高試合賞を受賞しました。
1970年代後半から1980年代前半にかけては、『サマー・アクション・シリーズ』など夏場のシリーズに、例年参戦しており、ドス・カラス選手との兄弟コンビでの編隊飛行は、全日本プロレスの「夏の風物詩」ともいわれました。
アメリカでは、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにおける「覆面レスラーはマスクを脱いで素顔で出場しなければならない」という理不尽な縛りに対して、1972年12月18日に、覆面を被ったままMSGに登場しまています。
これによってマスクマンとしてMSGに登場した初の人物としてアメリカでも大人気になりました。
かつて、WWEに所属していたアルベルト・デル・リオ選手は、マスカラス選手の甥にあたりますが、WWE時代の実況では度々「デル・リオの伯父」としてマスカラス選手の名前が出てくるくらいに、メジャーな存在でもあります。
2012年にはWWE殿堂に迎えられ、甥のアルベルト・デル・リオ選手が殿堂入り式典のインダクターを務めています。
マスカラス選手は、試合毎にマスクを変えることから "千の顔を持つ男" と呼ばれました。リングネームはスペイン語で「千の仮面(マスク)」という意味です。
日本では入場時に、試合用マスクの上から別のマスク(オーバーマスク)を更に被り、試合前にそのオーバーマスクを客席に投げてファンにプレゼントするパフォーマンスが人気を集めました。
また、全日本プロレス中継の視聴者プレゼント用にマスクを提供することもありました。
別のマスクを被る時は顔を隠しながらアゴのあたりからスルッと、2枚のマスクで頭を包むようにして被り直す特技もあり、絶対に素顔を晒さなかったのです。
ミルマスカラスさんといえば、入場テーマ曲ですよね。
有名な「スカイ・ハイ」なんですけれど、ジグソーのベスト盤には、入場バージョンがはいっていないんですよ。
実は、「スカイ・ハイ」って、「The Man From Hong Kong」という映画の主題歌になってまして、前奏が長いバージョンがあるんです。こちらがマスカラス選手の入場バージョンで使われてるんですね。
映画公開の2年後、1977年に日本では「スカイ・ハイ」が大ヒットします。
日本での発売元のテイチクは「出す前は売れるとは思わなかった」といいますが、蓋を開けてみるとオリコンシングルチャートで総合チャート最高2位、洋楽チャートで1977年3月14日付から11週連続1位、そして1977年度の年間1位も獲得します。
スカイ・ハイは日本だけで公称120万枚を売り上げました。
これ以後日本では、二匹目のドジョウを狙ったスポーツ関連の企画盤、便乗盤レコードが次々と発売されることになっていきます。
プロレス入場テーマの元祖は国際プロレスでしたが、それを定着させ、広めたのはマスカラス選手と、スカイ・ハイの功績で間違いないでしょう。