シンクロを福にするには ~後編~
前編では、わたし自身の体験を例にあげながら、
シンクロとは?
に目を向けてみました。
後編では、
『危機・それは人生からの贈り物』
と題したワークショップに参加してからの流れをざっくりまとめながら、
シンクロが福につながっていくためには?
について、わたしなりにまとめてみたいと思います。
◇
ワークショップではそれが何とは言えなかったけれど、ほんわりとあたたかいものを感じた。
それは、いつもは無機質なカルチャースクールの教室から始まった。
机は全て部屋の隅に寄せられ、中央には椅子が輪になって置かれていた。
輪の中心には、チューリップがいけられた花瓶が置かれ、その横では、ろうそくの灯が揺れていて、
ああ、なんだか別世界にきたみたい
という印象を受けた。
講師・統合心理学セラピストのアストリッドからは、ワークショップの間ずっと、参加者みんなを包み込むようなやわらかさが伝わってきた。
ピリッとしたなにかを秘めているようにも感じられた。
帰りがけにアストリッドのパンフレットをいただいた。
ワークショップの余韻は心地よかったのに、なぜかわたしは、こわごわとそれを持ち帰った。
3月末、会社が閉鎖し、わたしは失業手当を受けた。
4ヶ月後、新しい職場が決まった。
今度は、もっと自分の時間をもてるよう、その時間で何かを始められるようにと考え、半日の仕事を選んだ。
にもかかわらず、わたしの中の満たされないものは、以前にもまして、大きくなっていった。
たしかに、外の条件は、変わったかもしれない。
でも、わたし自身は、それ以前と変わっていなかったからだ。
満たされないだけでなく、閉所恐怖症に苦しまされるシーンが頻繁に出てきて、
なんとかしないと。。。
と、切羽詰まったものもわたしの中に湧き上がってきた。
そこで思い出したのが、ワークショップの帰り際にいただいてきたパンフレットのことだ。
逡巡したが、やっとのことで、アストリッドに連絡することに。
あの頃はとにかく、閉所恐怖症という都合の悪い症状を切り取って、投げ捨ててしまいたかった。
でも、自分に向かい始めてから
心の中に、
亀裂や、傷、痛み、
怒りも
あると分かってきた。
次第に、
閉所恐怖症も、わたしの一部
心がその症状を通して、わたしに何かを訴えているんだ
そう感じられるようになってきた。
心のことをもっと知りたいという願いがつよくなり、アストリッドの恩師のもとで、わたしも心の勉強をすることになった。
利益至上主義の職場とは違い、そこには、感情や感性、それぞれの運命や生き様といった「不思議」があふれていた。
心の中に泉が湧き出てくるようだった。
こうして、自分のことを知るようになり、
やっと、やっと、自分自身との距離が縮まっていった。
◇
これまでの人生を振り返えると、今が一番、自分と仲がよいと感じられて、わたしであることが楽なのです。
今のようなわたしに変わるきっかけとなったのは、今では、あの時の解雇通知が引き起こした危機だったのでは、と思えてきます。
長年、慣れ親しんだコンフォートゾーンから投げ出されたからゆえ、抑えつけていた心の痛みが噴き出してきて、自身の心の困窮状態に気づくことにつながったから。
そう考えると、あの時のシンクロも福になったと言えそうかと。
長い月日がかかったけれど。。。
シンクロが福になっていくには、
いえ、福にするためには、
次のことが求められるのではと感じています。
○ シンクロが起こっていることをすくい上げる。
外界に起きている「この出来事!」と心の内との共通点や意味をみつける。
この時、本能的な勘はとても頼りになる。
共通点には、無意識の領域からそっと意識にのぼってこようとする欲求・ニーズが隠されていることが多い。
人生が、自分に出している宿題といってもよいかもしれない。
(わたしの場合は、失業の危機・その頃の満たされない自分の心情
とワークショップの題目)
○ その状況から逃げないで自分の課題を読みとり、自分と対峙する。
なにか違うことで辛さなどを紛らわせたりせず、ごまかさず、自分に向かい合う。深刻にならず、真剣に。
たくさんある道筋・方法から、自分に合ったものを選び、時には腕まくりをしたり、ある時には、しずかに自分の中に降りてゆきながら、その時々の課題に取りくむ。
(わたしの場合は、空虚なものが内にありながら、それに向かい合っていなかった。解雇通知で目が覚めて、心理セラピーというルートをとりながら、それまでの自分の在り方を見つめなおし、古いものから自分を解放することにつながっていった。)
危機が人生からの贈り物となるのも、このようなプロセスを乗りこえた時
なのでは、と今は思えるのです。
長文になりましたが、最後までお読みくださり、ありがとうございました。
Reiko