わたしの中の「ゲジゲジ」を受け入れる ・・・・・・・・・・・・その②
その①では、わたしが悩まされていた閉所恐怖症をつうじて、自分を知る旅に出ることになったことをお話ししました。
未知への旅、冒険の旅になったのですが、
旅の道中、一人ではなく、
セラピストが道案内をしてくれたこと、
同じ旅をする仲間がいたことが、
大きな支えとなりました。
わたしたちは、セラピストのことを、通常、「寄り沿い歩く人」という意味合いのことばで呼んでいました。
コーチングでは、コーチのことを伴走者と呼ぶことがあるようですが、それに似て、セラピストは伴歩者といえるかと思います。
心の世界のスピードは、ゆる~り、ゆっくりです。
道案内でもある伴歩者は、わたしの悩み、苦しみに寄り添いながら、様々な問いをわたしに向けてきます。
わたしが、その問いを自分の内に向けて発して、ヒントや答えを探し出します。伴歩者が分析・アドヴァイスをすることはほとんどないといってよいでしょう。
さりげなく、こんな方向に向く道もあるよ、というガイドはしてくれますが、そこに進むかどうかを決めるのは、もちろん、わたし。
道中の約束事は、
何事に対しても、自分に対しても、
ジャッジしないで、中立的な観察をする
自分に優しい目を向け、優しく接する
ということ。
それ以前に、こんなことを意識したことはなかった。
特に、自分に優しく接するのは、具体的にどういうことがわからなかったのです。
わたしに向けられる問いは、時には、わたしの心を、じわりじわりと深いところから揺さぶり動かしていきました。
その中でも、旅の初めの頃に見つめ直すことになった親との関係性については、衝撃を受けました。
子どもの頃、親から言われたこと、
どのように、親に扱われたか、
それをうけて、子どもだったわたしは、
どのように感じたか。
子どもの時の忘れていた記憶、
様々なことばや、シーンが、わたしの中の扉の向こうに、閉じ込められたように、横たわっていたのです。
問いを通じて扉を開け、それらに触れて、子どものわたしにとってどんなものだったのかを再体験することに・・・。
横たわっていたものの中で、わたしに強烈に迫ってきたもの。
それは、母親のイヤな面がわたしに向けてきたことばでした。
を思い出すだけで、からだはそれに反応するのです。
からだは、どんどん小さく、硬くなっていき、身動きできなくなるような、そんな感覚が現れたのです。
ここで、きちんと認識しておかなければならないことがあります。
この場合の母親というのは、レアルの母親を指すのではないこと。
そうではなく、自分自身が子どもの頃からずっと見聞きして感じとった結果、自分の中にできた母親像のことなので、レアルの母親と取り違えないよう注意します。
(でも、わたしには、レアルの母親に対して、激しい怒りを感じていた時期がありました。)
アリス・ミラーというポーランド生まれで、後に、スイスで活動された心理学者が、次のようなことばを残しています。
かなり悲観的な見方を示すことばですが、仲間やわたし自身の経験を振り返ると、この後に、
ただし・・・・
ということばが続くのだろうと感じるのです。
このあたりのことを、『わたしの中の「ゲジゲジ」を受け入れる・その③』で、お話ししたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・続く
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
Reiko
(文中の扉の画像は、夫から借りています。)