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救世主なんていない


社会の常識とシステム

 抑圧と虐待などを受けた人間は、救世主を求める。いつしかそれは、信仰になり祈りへと変わる。

 それこそが、人々を隷属の道へ誘う道標だ。

 新たに登場する正義に人々は酔いしれる。本当は奴等の仲間だとも知らずに。そうやって時代は繰り返す。そして何世代に亘る支配の中で、絶対的な地位が確立される。そして培われた教義が表に出ることは無い。密儀となって極一部の人間にだけ伝授され継承される。

 なのに人は、人を信じ救世主を求める。
 何時の時代も。何世代にも亘って。

 そろそろ多くの人間が気付くべき時だろう。そんなものはなく、常に誘導され騙され、搾取され続けていることに。今を抜け出す方法は有るのか。誰がそれを知っているのか。

救世主を求めるならば、真実の人を探し出せ。

 手立てはある。しかし、その発想は人々に受け入れられない。何故なら殆どの人間が型にハマっているからだ。そのような人間を信じる素養がない。今の社会の中で教育され成長した人間に見分けられる訳がない。

全てを遮断しろ

 常識も、教育も、一度全てを遮断する。そして自分自身の心のままに考える。誰かの情報や判断を入れる余地は無い。誰かの感情など無視すれば良い。忖度などせず、自分自身の考えだけを纏めよ。

 それからでなければ、真実の人を探し出すことは出来ないし、真実の人になることも出来ない。誰かが誰かのためと言い正義を奮っている。その正義は、自分にとって真実なのだろうか。その人間の欲求に巻き込まれているだけではないだろうか。

 遮断しろと言ったその常識とは何だろうか。本当に理解しているのだろうか。人間として産まれ育てられ、学校で教育を受けたのだろうけど、決まっている疑問と答えを教えられたことで謎は解けたと思い込んでいないか。成績がよくなり賢くなったと思い込んではいないだろうか。

 何故、何もかも知っていると思っているのか。一体何を経験したというのか。

メディアの中の救世主

 現実社会で救世主を見つけることは出来たのかい。一度でも居たのかい。何故、救世主を探すのか分かっているのか。

 自分自身こそが、救世主であると何故気付かないのか。

知るがいい。

 全てをコントロールしている人間が居ることとを。

 そんな世の中に真実を見出した人間が居ることを。

それは最早、両者の考えや辿り着いた真理はイコールであるだろう。
だからこそ全てにそれが浸透する時こそ、世の中が変わるということになる。しかしながら、万に一つと言えるほど低い確率でしかない。

難しくしているのは自分自身だ。

 何も難しくはない。情報の波に飲まれ、簡単な真理さえ掻き消されているだけだ。

   見つけたいのならば、
   知る勇気が有るのならば、
   救世主を探すことを辞めることだ。