
パニック障害でも、できてたちいさなこと
子供が好奇心旺盛(今もだけど)の頃に、私は乗り物系に乗れなくなってしまい、たくさんいろんな場所へ行って思い出を作ってあげたい気持ちとは裏腹に、出掛けられないということに罪悪感がありました。
罪悪感の沼にどっぷりと浸りながら、母親失格の烙印を押して塞ぎ込み。

ついつい思い詰めて考えてしまったり「あの時こうしてたら…」と考えてしまうことも。
仕事、育児、家のこと。
離婚後は特に「母親なんだからしっかりしないと」と思えば思うほど辛くなって、
いつもの道を間違えたり
急に涙がぽろぽろこぼれたり
は~っと大きな溜息をついて
夜は虚無感に襲われたり
身体も心も痛くて、ぜんぜん完璧にできなかったし、今もたくさん手抜き中です。
そんな中でも欠かさずできてた事と言えば
子供に毎日きもちを伝える。
たくさんスキンシップを取る。
良いところを沢山見つける。
今日はどうだった?と1日の話を聞く。
たったそれだけ。でも「それは出来てた」ことです。身体は思うようにコントロール出来なくても、口は動くし言葉も発せられる。愛情や思ったことは素直にしっかり伝えてきました。
どこにも連れて行ってあげれなくてごめんねと言った時に、「ママの子で幸せだけど?」と答えてくれた息子。
( ᐪᐤᐪ )ドバーーーー
ここで自分が思う理想と、子供が感じてくれていた現実の差にも気付きました。
気遣ってくれたのかも?でも毎日できてたからこそ、そう思ってくれたのかも?
でも、その言葉がお守りになりました。動悸が襲ってこようが、吐き気でオエオエしながら顔面蒼白でも子供の行事に参加できたのもその言葉があったからで、有り難く心に留めてます。
「治んないかも」から、「治したい」へ心を動かしてくれたおかげで、ひとつずつ挑戦してくることができました。
そのおかげで今があるとも言えます。
感謝でいっぱい。ありがとう。
出来なかった…より、できた。できてる。を見つけると少し満たされます。
できた探しの旅はまだまだ続きます。