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陽乃草子「夏」

夏/もしくは太陽に対する恨み言、あるいは恋文



夏というものと直面してみて、正気でいられた試しがない。

 それはきっと、太陽のせいなのだ。夏は明るい。人間にも一種の走光性があるのか、それに惹きつけられずにはいられない。人を外に誘い出す澄んだ青、心地よく乾いた風、高く昇った太陽から降り注ぐ、祝福のような光。
それに騙されて屋根の下から出てみたが最後、夏に囚われて抜け出すことができなくなる。
 乾いた風だと思っていたものは、およそ涼しさを提供する材料にもならないほど高温の熱風。生まれてきたことを祝福されるかのように思えていた光は、身体から容赦なく水分を奪う。夏に誘われて愚かにも外界に出てきてしまった私に対して、随分と酷な仕打ちではあるまいか。
冷めない熱を体に宿しながら、助けを求めるように天を仰ぐ。そこには謀略を弄した太陽が輝かしくきらめき、その光に応えて空がどこまでも広く、青く、染めあげられている。
その呆気ないまでの純粋さに、もう夏のことを許してやってもいいか、という気分になる。


夏の空はただ純粋なのだ。


 こんなにもただ、彼が輝いているだけの季節なのだ、夏というものは。そこになんの罪だってないじゃないか。それに魅入られるのも、その結果身を焼かれるのも、こちら側の勝手だ。イカロスだって、慢心や傲慢があったのではなく、ただ純粋に彼に恋をしていただけかもしれない。その身が得た新たな可能性をもって、彼に近づかずにはいられなかっただけかもしれないのだ。有史以前より人間は太陽とともに目覚め、太陽が沈むのとともに眠った。彼のいない夜が不安で、炎や電気、人工物で彼の代替品を作った。しかし、どれだけ技術を発達させてみても、結局は彼の光がなければ、人間は不安になってしまうのだろう。われわれの先人から今まで変わらず、そのように造られているから。
 だから、彼の力が一番強くなる夏には、それにあてられて正気を失ってしまうのも仕方がない。だってこんなに、太陽が明るいのだから。

  明るすぎると、人間の目は逆に物質の正しい像を網膜に結ぶことができない。彼が世界の頂上に君臨していて、見渡す限り影もなく、世界が光にあふれている時間。その時ばかりは、どうにも現実感が感じられない。その瞬間にも、体は刻一刻と紫外線に焼かれ、死に近づいている。
自らの肉体を蝕む実在論、めいめいに体を伸ばす葉や花、耳を劈かんとする有象無象の求愛の声。生命と死の渦巻く矛盾ばかりの体験。その最中も目に焼き付き続けるのは、光あふれて彩度豊かな、楽園めいた光景。
彼が見せるのは、あまりにも強すぎるまぼろしだ。
 夏が見せてくれる太陽の生命力は、私には些か強すぎる。他の季節であれば、もっと上手く彼と付き合えるものを。夏になると、その強い光に焼かれ、しばし盲目になって、白昼夢に酔ってしまうらしい。それでも、それでよかったと納得してしまうだけの魅力が、彼にはある。

夏が過ぎ去った今、もう夏が恋しい。夏に直面したとして、また同じことになるだけだとわかってはいても。

彼に焦がれるのをやめられない。

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