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自己の仏を目覚めさせる必要性(個性よりも大事な事)

こんにちは。
今日のお話は、宗教的含みは持たずに読んで頂きたい内容なのですが。

今回の執筆は
エゴによる伝えたい、という想いでは無く
ただ単に個人の思想として書き残しておきたい事なので、〈霊的お話・スピリチュアリティ〉に興味がある人だけ読み進めてくださいね。


現代において、新時代への過渡期のいま
〈信仰〉というものと私たちは向き合うべき時にいるのではないかと、ふとした時に感じるんです。(まぁ、、、時代関係なく大事な事ですけど特に〝いま〟必要な感じが、しますよねぇ。)
それは、自分自身と深く向き合うことであると言えます。

なぜ、自分と向き合う事がいつの時代にも増して
重要なのか?
生きていると、あらゆる煩悩に囚われて
苦悩するのが人間です。
しかも一昔前よりも、外側からやってくるものが圧倒的に増え・強まっていった分
自分自身の軸が脆いほど、
その枝はポキっと折れやすいことも事実です。

だからゆえに
自分の軸を強くするといった意味合いで

✓ 自分軸を強化しよう
✓ 自己肯定感を高めよう
✓ いやその前に自己受容だ
✓ セルフラブが大事だ
✓ 自分の個性を磨こう
✓ 自分の強みを活かそう、探そう
✓ 自分の欠点やブロックを外そう

などが流行るんですよね。
そこに反応する種(因)を持つからこそ
そういったものを目(耳)にしては
〝それが必要なのか!〟と思考停止で思ってしまう。そして求める。
それはちっとも悪いことではないんですけどね。(誰もが救われたいですし・・・)


と、話が逸れる前に・・・(笑)
冒頭の信仰についてまずは書き留めておこうと思います。


信仰とは、については長くなるけれど簡単に。
スマホ辞書によると

だそうです。
チャクラでいうと頭頂部に存在する
第7チャクラの領域で
〈自己を超越した領域〉
にあるのが
真の信仰となります。

でね、
そのてっぺんの〈自己超越〉の
7番目のチャクラまで
人間の意識の進化・霊的成長へ向かうには、
下位のチャクラ達、まずは〈自己〉なわけです。

だから、〈大いなる存在〉というものを理解し
それと一つである(ワンネス・統合)には
✓ 自分の中の神様・仏様を自覚していくこと
✓ 己の神仏と一体となること=自己の魂(の光)を輝かせて生きること

が大事なのです。

そう、私たちの中にはそもそも
〈仏性〉が宿っているのです。

弘法大師・空海によれば、
私たちは誰もが仏の心を抱いていると。

それを知る道が真理へと向かう道であるとも思います。

それにはまず自分が目覚めていく必要がありますけど。
仏を自覚する〈発菩提心〉の道があります。

「発」🟰始める。
「菩提心」は、わずらわしい悩みや苦しみを断って
悟りを求めること。


ちなみに私の夫、かの稲盛和夫さんと同じく
在家得度というものを受けており。
仏道を學ぶ際に、管長から授かった言葉が
発心」でした。
発心(発菩提心)無くして、仏の道なし。ということですね。

高野山本山布教師の近藤様から聴かされたお話です。

仏を自覚する道には4つの近道が示されています。

  1. 〈仏法を捨てない〉道
    仏さまの教えを學び、その教えを胸に刻んで歩むこと。
    般若心経の結びにある「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」とは、
    「仏に向かっていく者よ、彼の岸に向かっていく者よ、無事に彼岸へ渡って幸いあれ」
    または「行こう、行こう、さあ行こう。
    皆で手に手を取り合って清らかな幸せの世界に向かって一緒に行きましょう」などと訳される事が多いですが、これは仏道を歩む者にエールが送られている言葉です。

  2. 〈菩提心をしっかり持つ〉道
    菩提心とは真実の自分の心を求める仏道。
    その道を歩まなければ仏(自己の本質)に出逢うことはできません。強い意志・念ずる心があれば道は自ずと開かれていきます。

  3. 〈人々に仏法を伝える〉道
    分け合ってことそ仏の教えが世間に生かされていきます。

  4. 〈社会の不利益になることをしない〉道
    社会人のルールでもあります。
    社会で生きる上での個人の倫理観ですね。
    仏の自覚ができている人は、安心を与えます。いわゆる人格者であるということ。

このように、
発菩提心は仏へ向かって歩くことです。
最初にチラっと書いたように、人間は
苦悩の種・煩悩に思い煩います。

煩悩は渋柿のようなもの。
渋柿を軒下に干すと、やがて甘柿に変わります。

これと同じように、

自分の欠点を仏の光にさらせば、
その欠点が不思議と個性的な特徴になり、転迷開悟の妙力が発菩提心である。

高野山布教師さまの法話より

私たちはもともと仏身であると、
空海も言いました。
仏身は発菩提心によって体験することができます。
仏身の自覚を見失ったまま生きることは
非常に勿体無いことです。

ある時から〈生き方〉が変わった私は、
こういった飽くなき真理(真実)の探求の道を歩むことに没頭し続けたいとなりました。

本当の幸せってなに?という問い。

(世俗的な幸せももちろん体験として含まれますが)
すべてを包括する真の幸福・至福とされるのは〈自己の本質から大いなるシステムとひとつであるとき〉が最もたるものだと私は感じます。


今日のお話で書き留めておきたかったのは

欠点、強み、個性などというカテゴライズは
人間がつくったの。
大いなるシステム(神・仏・宇宙etc)は
もともと光を授けてくださっているので
その光(仏性)に気づくこと、憶い出すことが大事
だよってこと。

最後に、わたし達に備わる光を見つけ
輝かせていこうと決心する人に贈るマントラ🕉️


仏を自覚する発菩提心の真言(マントラ)🙏🏻

「オンボウジシッタ ボダハダヤミ」
眠っている自身の仏に🚪ノックをする
ご真言です。

そして、眠りから覚めた仏さまに
寄り添うことを誓う言葉は
「オンサンマヤ サトバン」

この両真言はセットとされてます。


今日は、仏教的なお話になりましたけど
他にも様々な視点から
noteにこれからも書き留めておきたいのは
〈本当の自分を知る〉
〈あるがままの自己の本質を生きる〉
ということが共通しています。

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Natsuko
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