『神聖なる世界』 第三章 魂の修行
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ここまで
「神聖なる世界」
のお話しをしてきましたが
果たして「神聖」とは何をもって
定義するのでしょうか
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それは
清浄でけがれがないこと
特に、宗教・信仰などの対象として
日常とは区別して扱われるべき
特別に尊い価値ある世界をいいます
つまり、いつかは私たちが到達すべき
深い次元の「意識の世界」と
お考えいただいてよろしいでしょう
神聖とは清と濁、浄と垢を見比べれば
当然、清浄の世界観にあてはまります
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ここで大切なイメージ
「蓮華座」があります
仏像の下に
「蓮の華」が
彫られているのを
ご覧になった方もいるでしょう
蓮華の「花」は
「蓮華座」に座る
仏そのものです
その「花」は
泥土から咲きます
これが、「不垢不淨」
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「意識」も同じ
清浄の「精神」は
深層に潜在する泥土から生じます
私たちの内部でも
同じことが生じています
常に食事を精と濁に分け
「精」は「精神」に向かう
力を得るために
「濁」は排泄という形で
社会へ還元されていきます
この循環の中で私たちは
精なるものを取り
濁なるものを捨てる
認識という命を紡いでいるのです
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仏教には
ただ『識』のみという
『唯識』の教えがあります
『唯識』は
深く心を洞察し
「意識」と「認識」という
(こころ)のあり方を
解明してきました
前章で『潜在意識』は
(こころ)の問題と直結し
その「意識の水準」によって
「天界」へ導かれるとお話しました
これは(こころ)の意識の深さであり
同時に高みに及ぶ水準を現わしています
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今回は
この「意識レベル」の上昇には
どのような法則があるのか
あるいは「意識レベル」を測る
手立てはあるのか
泥土に浮かぶ
『蓮の花』の(こころ)を
私たちは読み取れるのか
そのようなことを
古典的な修行を行ってきた
先達の方々の叡智をお借りし
現代における「魂の修行」をはじめるに
際しての心構えを参照して参りたいと思います
Ⅰ.霊訓
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